然《にこり》ともせずに、簡単な答を落ちついて与えた。
「何だ小林か。新らしい赤靴なんか穿《は》き込んで厭《いや》にお客さんぶってるもんだから誰かと思ったら。そんなら僕も遠慮しずにあっちへ行けばよかった」
 想像の眼で見るにはあまりに陳腐《ちんぷ》過ぎる彼の姿が津田の頭の中に出て来た。この夏会った時の彼の異《い》な服装《なり》もおのずと思い出された。白縮緬《しろちりめん》の襟《えり》のかかった襦袢《じゅばん》の上へ薩摩絣《さつまがすり》を着て、茶の千筋《せんすじ》の袴《はかま》に透綾《すきや》の羽織をはおったその拵《こしら》えは、まるで傘屋《かさや》の主人《あるじ》が町内の葬式の供に立った帰りがけで、強飯《こわめし》の折でも懐《ふところ》に入れているとしか受け取れなかった。その時彼は泥棒に洋服を盗まれたという言訳を津田にした。それから金を七円ほど貸してくれと頼んだ。これはある友達が彼の盗難に同情して、もし自分の質に入れてある夏服を受け出す余裕が彼にあるならば、それを彼にやってもいいと云ったからであった。
 津田は微笑しながら叔母に訊《き》いた。
「あいつまた何だって今日に限って座敷なんか
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