で遥《はる》かそれ以上気にかかる事件を捏《こ》ね返《かえ》していたので、彼は風呂場へ下りた時からすでにある不足を暗々《あんあん》のうちに感じなければならなかった。明るい浴室に人影一つ見出《みいだ》さなかった彼は、万事君の跋扈《ばっこ》に任せるといった風に寂寞《せきばく》を極《きわ》めた建物の中に立って、廊下の左右に並んでいる小さい浴槽の戸を、念のため一々開けて見た。もっともこれはそのうちの一つの入口に、スリッパーが脱ぎ棄《す》ててあったのが、彼に或暗示を与えたので、それが機縁になって、彼を動かした所作《しょさ》に過ぎないとも云えば云えない事もなかった。だから順々に戸を開けた手の番が廻って来て、いよいよスリッパーの前に閉《た》て切《き》られた戸にかかった時、彼は急に躊躇《ちゅうちょ》した。彼は固《もと》より無心ではなかった。その上失礼という感じがどこかで手伝った。仕方なしに外部《そと》から耳を峙《そばだ》てたけれども、中は森《しん》としているので、それに勢《いきおい》を得た彼の手は、思い切ってがらりと戸を開ける事ができた。そうしてほかと同じように空虚な浴室が彼の前に見出された時に、まあよ
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