のしたお延は、舞台へ気を取られている四辺《あたり》へ遠慮して動かなかった。毛織ものを肌へ着けた例《ためし》のない岡本は、毛だらけな腕を組んで、これもおつき合《あい》だと云った風に、みんなの見ている方角へ視線を向けた。そこでは色の生《なま》っ白《ちろ》い変な男が柳の下をうろうろしていた。荒い縞《しま》の着物をぞろりと着流して、博多《はかた》の帯をわざと下の方へ締《し》めたその色男は、素足に雪駄《せった》を穿《は》いているので、歩くたびにちゃらちゃらいう不愉快な音を岡本の耳に響かせた。彼は柳の傍《そば》にある橋と、橋の向うに並んでいる土蔵の白壁を見廻して、それからそのついでに観客の方へ眼を移した。然《しか》るに観客の顔はことごとく緊張していた。雪駄をちゃらちゃら鳴らして舞台の上を往ったり来たりするこの若い男の運動に、非常な重大の意味でもあるように、満場は静まり返って、咳《せき》一つするものがなかった。急に表から入って来た彼にとって、すぐこの特殊な空気に感染する事が困難であったのか、また馬鹿らしかったのか、しばらくすると彼はまた窮屈そうに半分|後《うしろ》を向いて、小声でお延に話しかけた。
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