》うから知ってるわ」
 お延の鎌《かま》は際《きわ》どいところで投げかけられた。お秀ははたしてかかった。
「けれども大丈夫よ。延子さんなら大丈夫よ」
「大丈夫だけれども危険《あぶな》いのよ。どうしても秀子さんから詳しい話しを聴《き》かしていただかないと」
「あら、あたし何にも知らないわ」
 こういったお秀は急に赧《あか》くなった。それが何の羞恥《しゅうち》のために起ったのかは、いくら緊張したお延の神経でも揣摩《しま》できなかった。しかも彼女はこの訪問の最初に、同じ現象から受けた初度《しょど》の記憶をまだ忘れずにいた。吉川夫人の名前を点じた時に見たその薄赧《うすあか》い顔と、今彼女の面前に再現したこの赤面の間にどんな関係があるのか、それはいくら物の異同を嗅《か》ぎ分ける事に妙を得た彼女にも見当がつかなかった。彼女はこの場合無理にも二つのものを繋《つな》いでみたくってたまらなかった。けれどもそれを繋ぎ合せる綱は、どこをどう探《さが》したって、金輪際《こんりんざい》出て来っこなかった。お延にとって最も不幸な点は、現在の自分の力に余るこの二つのものの間に、きっと或る聯絡《れんらく》が存在しているに相違ないという推測《すいそく》であった。そうしてその聯絡が、今の彼女にとって、すこぶる重大な意味をもっているに相違ないという一種の予覚であった。自然彼女はそこをもっと突ッついて見るよりほかに仕方がなかった。

        百二十九

 とっさの衝動に支配されたお延は、自分の口を衝《つ》いて出る嘘《うそ》を抑《おさ》える事ができなかった。
「吉川の奥さんからも伺った事があるのよ」
 こう云った時、お延は始めて自分の大胆さに気がついた。彼女はそこへとまって、冒険の結果を眺めなければならなかった。するとお秀が今までの赤面とは打って変った不思議そうな顔をしながら訊《き》き返した。
「あら何を」
「その事よ」
「その事って、どんな事なの」
 お延にはもう後《あと》がなかった。お秀には先があった。
「嘘でしょう」
「嘘じゃないのよ。津田の事よ」
 お秀は急に応じなくなった。その代り冷笑の影を締りの好い口元にわざと寄せて見せた。それが先刻《さっき》より著るしく目立って外へ現われた時、お延は路を誤まって一歩|深田《ふかだ》の中へ踏み込んだような気がした。彼女に特有な負け嫌いな精神が強く働らかなかったなら、彼女はお秀の前に頭を下げて、もう救《すくい》を求めていたかも知れなかった。お秀は云った。
「変ね。津田の事なんか、吉川の奥さんがお話しになる訳がないのにね。どうしたんでしょう」
「でも本当よ、秀子さん」
 お秀は始めて声を出して笑った。
「そりゃ本当でしょうよ。誰も嘘だと思うものなんかありゃしないわ。だけどどんな事なの、いったい」
「津田の事よ」
「だから兄の何よ」
「そりゃ云えないわ。あなたの方から云って下さらなくっちゃ」
「ずいぶん無理な御注文ね。云えったって、見当《けんとう》がつかないんですもの」
 お秀はどこからでもいらっしゃいという落ちつきを見せた。お延の腋《わき》の下から膏汗《あぶらあせ》が流れた。彼女は突然飛びかかった。
「秀子さん、あなたは基督教信者《キリストきょうしんじゃ》じゃありませんか」
 お秀は驚ろいた様子を現わした。
「いいえ」
「でなければ、昨日《きのう》のような事をおっしゃる訳がないと思いますわ」
 昨日と今日の二人は、まるで地位を易《か》えたような形勢に陥《おちい》った。お秀はどこまでも優者の余裕を示した。
「そう。じゃそれでもいいわ。延子さんはおおかた基督教がお嫌《きら》いなんでしょう」
「いいえ好きなのよ。だからお願いするのよ。だから昨日のような気高《けだか》い心持になって、この小さいお延を憐《あわ》れんでいただきたいのよ。もし昨日のあたしが悪かったら、こうしてあなたの前に手を突いて詫《あや》まるから」
 お延は光る宝石入の指輪を穿《は》めた手を、お秀の前に突いて、口で云った通り、実際に頭を下げた。
「秀子さん、どうぞ隠さずに正直にして下さい。そうしてみんな打ち明けて下さい。お延はこの通り正直にしています。この通り後悔しています」
 持前の癖を見せて、眉《まゆ》を寄せた時、お延の細い眼から涙が膝《ひざ》の上へ落ちた。
「津田はあたしの夫です。あなたは津田の妹です。あなたに津田が大事なように、津田はあたしにも大事です。ただ津田のためです。津田のために、みんな打ち明けて話して下さい。津田はあたしを愛しています。津田が妹としてあなたを愛しているように、妻としてあたしを愛しているのです。だから津田から愛されているあたしは津田のためにすべてを知らなければならないのです。津田から愛されているあなたもまた、津田のために万《よろ》ずを
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