まったのだから、事実やむをえないとしても、もしそういう故障のない時に、津田から詳しいありのままを問われたら、お延はおいそれと彼の希望通り、綿密な返事を惜まずに、彼の要求を満足させたろうかと考えると、そこには大きな疑問があった。お延の平生から推して、津田はむしろごまかされるに違ないと思った。ことに彼がもしやと思っている点を、小林が遠慮なくしゃべったとすれば、お延はなおの事、それを聴《き》かないふりをして、黙って夫の前を通り抜ける女らしく見えた。少くとも津田の観察した彼女にはそれだけの余裕が充分あった。すでにお延の方を諦《あき》らめなければならないとすると、津田は自分に必要な知識の出所《でどころ》を、小林に向って求めるよりほかに仕方がなかった。
小林は何だかそこを承知しているらしかった。
「なに何にも云やしないよ。嘘《うそ》だと思うなら、もう一遍お延さんに訊《き》いて見たまえ。もっとも僕は帰りがけに悪いと思ったから、詫《あや》まって来たがね。実を云うと、何で詫まったか、僕自身にも解らないくらいのものさ」
彼はこう云って嘯《うそぶ》いた。それからいきなり手を延べて、津田の枕元にある読みかけの書物を取り上げて、一分ばかりそれを黙読した。
「こんなものを読むのかね」と彼はさも軽蔑《けいべつ》した口調で津田に訊《き》いた。彼はぞんざいに頁《ページ》を剥繰《はぐ》りながら、終りの方から逆に始めへ来た。そうしてそこに岡本という小さい見留印《みとめいん》を見出《みいだ》した時、彼は「ふん」と云った。
「お延さんが持って来たんだな。道理で妙な本だと思った。――時に君、岡本さんは金持だろうね」
「そんな事は知らないよ」
「知らないはずはあるまい。だってお延さんの里《さと》じゃないか」
「僕は岡本の財産を調べた上で、結婚なんかしたんじゃないよ」
「そうか」
この単純な「そうか」が変に津田の頭に響いた。「岡本の財産を調べないで、君が結婚するものか」という意味にさえ取れた。
「岡本はお延の叔父《おじ》だぜ、君知らないのか。里《さと》でも何でもありゃしないよ」
「そうか」
小林はまた同じ言葉を繰り返した。津田はなお不愉快になった。
「そんなに岡本の財産が知りたければ、調べてやろうか」
小林は「えへへ」と云った。「貧乏すると他《ひと》の財産まで苦になってしようがない」
津田は取り合わなかった。それでその問題を切り上げるかと思っていると、小林はすぐ元へ帰って来た。
「しかしいくらぐらいあるんだろう、本当のところ」
こう云う態度はまさしく彼の特色であった。そうしていつでも二様に解釈する事ができた。頭から向うを馬鹿だと認定してしまえばそれまでであると共に、一度こっちが馬鹿にされているのだと思い出すと、また際限もなく馬鹿にされている訳にもなった。彼に対する津田は実のところ半信半疑の真中に立っていた。だからそこに幾分でも自分の弱点が潜在する場合には、馬鹿にされる方の解釈に傾むかざるを得なかった。ただ相手をつけあがらせない用心をするよりほかに仕方がなかった彼は、ただ微笑した。
「少し借りてやろうか」
「借りるのは厭《いや》だ。貰《もら》うなら貰ってもいいがね。――いや貰うのも御免だ、どうせくれる気遣《きづかい》はないんだから。仕方がなければ、まあ取るんだな」小林はははと笑った。「一つ朝鮮へ行く前に、面白い秘密でも提供して、岡本さんから少し取って行くかな」
津田はすぐ話をその朝鮮へ持って行った。
「時にいつ立つんだね」
「まだしっかり判らない」
「しかし立つ事は立つのかい」
「立つ事は立つ。君が催促しても、しなくっても、立つ日が来ればちゃんと立つ」
「僕は催促をするんじゃない。時間があったら君のために送別会を開いてやろうというのだ」
今日小林から充分な事が聴《き》けなかったら、その送別会でも利用してやろうと思いついた津田は、こう云って予備としての第二の機会を暗《あん》に作り上げた。
百十八
故意だか偶然だか、津田の持って行こうとする方面へはなかなか持って行かれない小林に対して、この注意はむしろ必要かも知れなかった。彼はいつまでも津田の問に応ずるようなまた応じないような態度を取った。そうしてしつこく自分自身の話題にばかり纏綿《つけまつ》わった。それがまた津田の訊《き》こうとする事と、間接ではあるが深い関係があるので、津田は蒼蠅《うるさ》くもあり、じれったくもあった。何となく遠廻しに痛振《いたぶ》られるような気もした。
「君吉川と岡本とは親類かね」と小林が云い出した。
津田にはこの質問が無邪気とは思えなかった。
「親類じゃない、ただの友達だよ。いつかも君が訊いた時に、そう云って話したじゃないか」
「そうか、あんまり僕に関係の遠い人達の
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