どこからそんな好意が急に湧《わ》いて出たのだろうと思うと、津田は不思議でならなかった。それをお延はこう説明した。
「そりゃ厭《いや》なのよ。この上叔父さんにお金の事なんかで迷惑をかけるのは。けれども仕方がないわ、あなた。いざとなればそのくらいの勇気を出さなくっちゃ、妻としてのあたしの役目がすみませんもの」
「叔父さんに訳を話したのかい」
「ええ、そりゃずいぶん辛《つら》かったの」
お延は津田へ来る時の支度を大部分岡本に拵《こしら》えて貰《もら》っていた。
「その上お金なんかには、ちっとも困らない顔を今日《きょう》までして来たんですもの。だからなおきまりが悪いわ」
自分の性格から割り出して、こういう場合のきまりの悪さ加減は、津田にもよく呑《の》み込めた。
「よくできたね」
「云えばできるわ、あなた。無いんじゃないんですもの。ただ云い悪《にく》いだけよ」
「しかし世の中にはまたお父さんだのお秀だのっていう、むずかしやも揃《そろ》っているからな」
津田はかえって自尊心を傷《きずつ》けられたような顔つきをした。お延はそれを取《と》り繕《つく》ろうように云った。
「なにそう云う意味ばかりで貰って来た訳でもないのよ。叔父さんにはあたしに指輪を買ってくれる約束があるのよ。お嫁に行くとき買ってやらない代りに、今に買ってやるって、此間《こないだ》からそう云ってたのよ。だからそのつもりでくれたんでしょうおおかた。心配しないでもいいわ」
津田はお延の指を眺めた。そこには自分の買ってやった宝石がちゃんと光っていた。
百十三
二人はいつになく融《と》け合った。
今までお延の前で体面を保つために武装していた津田の心が吾知《われし》らず弛《ゆる》んだ。自分の父が鄙吝《ひりん》らしく彼女の眼に映りはしまいかという掛念《けねん》、あるいは自分の予期以下に彼女が父の財力を見縊《みくび》りはしまいかという恐れ、二つのものが原因になって、なるべく京都の方面に曖昧《あいまい》な幕を張り通そうとした警戒が解けた。そうして彼はそれに気づかずにいた。努力もなく意志も働かせずに、彼は自然の力でそこへ押し流されて来た。用心深い彼をそっと持ち上げて、事件がお延のために彼をそこまで運んで来てくれたと同じ事であった。お延にはそれが嬉《うれ》しかった。改めようとする決心なしに、改たまった夫の態度には自然があった。
同時に津田から見たお延にも、またそれと同様の趣《おもむき》が出た。余事はしばらく問題外に措《お》くとして、結婚後彼らの間には、常に財力に関する妙な暗闘があった。そうしてそれはこう云う因果《いんが》から来た。普通の人のように富を誇りとしたがる津田は、その点において、自分をなるべく高くお延から評価させるために、父の財産を実際より遥《はる》か余計な額に見積ったところを、彼女に向って吹聴《ふいちょう》した。それだけならまだよかった。彼の弱点はもう一歩先へ乗り越す事を忘れなかった。彼のお延に匂《にお》わせた自分は、今より大変楽な身分にいる若旦那《わかだんな》であった。必要な場合には、いくらでも父から補助を仰ぐ事ができた。たとい仰がないでも、月々の支出に困る憂《うれい》はけっしてなかった。お延と結婚した時の彼は、もうこれだけの言責《げんせき》を彼女に対して背負《しょ》って立っていたのと同じ事であった。利巧《りこう》な彼は、財力に重きを置く点において、彼に優《まさ》るとも劣らないお延の性質をよく承知していた。極端に云えば、黄金《おうごん》の光りから愛その物が生れるとまで信ずる事のできる彼には、どうかしてお延の手前を取繕《とりつくろ》わなければならないという不安があった。ことに彼はこの点においてお延から軽蔑《けいべつ》されるのを深く恐れた。堀に依頼して毎月《まいげつ》父から助《す》けて貰《もら》うようにしたのも、実は必要以外にこんな魂胆が潜んでいたからでもあった。それでさえ彼はどこかに煙たいところをもっていた。少くとも彼女に対する内と外にはだいぶんの距離があった。眼から鼻へ抜けるようなお延にはまたその距離が手に取るごとくに分った。必然の勢い彼女はそこに不満を抱《いだ》かざるを得なかった。しかし彼女は夫の虚偽を責めるよりもむしろ夫の淡泊《たんぱく》でないのを恨《うら》んだ。彼女はただ水臭いと思った。なぜ男らしく自分の弱点を妻の前に曝《さら》け出《だ》してくれないのかを苦《く》にした。しまいには、それをあえてしないような隔《へだた》りのある夫なら、こっちにも覚悟があると一人腹の中できめた。するとその態度がまた木精《こだま》のように津田の胸に反響した。二人はどこまで行っても、直《じか》に向き合う訳に行かなかった。しかも遠慮があるので、なるべくそこには触れないように
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