気が利《き》いていても、顔が悪いと男には嫌《きら》われるだけね」
「そんな事はございません」
 お時が弁護するように強くこういったので、お延はなお自分を主張したくなった。
「本当よ。男はそんなものなのよ」
「でも、それは一時の事で、年を取るとそうは参りますまい」
 お延は答えなかった。しかし彼女の自信はそんな弱いものではなかった。
「本当にあたしのような不器量なものは、生れ変ってでも来なくっちゃ仕方がない」
 お時は呆《あき》れた顔をしてお延を見た。
「奥様が不器量なら、わたくしなんか何といえばいいのでございましょう」
 お時の言葉はお世辞でもあり、事実でもあった。両方の度合をよく心得ていたお延は、それで満足して立ち上った。
 彼女が外出のため着物を着換えていると、戸外《そと》から誰か来たらしい足音がして玄関の号鈴《ベル》が鳴った。取次に出たお時に、「ちょっと奥さんに」という声が聞こえた。お延はその声の主《ぬし》を判断しようとして首を傾けた。

        八十一

 袖《そで》を口へ当ててくすくす笑いながら茶の間へ駈《か》け込んで来たお時は、容易に客の名を云わなかった。彼女はただおかしさを噛《か》み殺そうとして、お延の前で悶《もだ》え苦しんだ。わずか「小林」という言葉を口へ出すのでさえよほど手間取った。
 この不時の訪問者をどう取り扱っていいか、お延は解らなかった。厚い帯を締《し》めかけているので、自分がすぐ玄関へ出る訳に行かなかった。といって、掛取《かけとり》でも待たせておくように、いつまでも彼をそこに立たせるのも不作法であった。姿見《すがたみ》の前に立《た》ち竦《すく》んだ彼女は当惑の眉《まゆ》を寄せた。仕方がないので、今|出《で》がけだから、ゆっくり会ってはいられないがとわざわざ断らした後で、彼を座敷へ上げた。しかし会って見ると、満更《まんざら》知らない顔でもないので、用だけ聴いてすぐ帰って貰う事もできなかった。その上小林は斟酌《しんしゃく》だの遠慮だのを知らない点にかけて、たいていの人に引《ひけ》を取らないように、天から生みつけられた男であった。お延の時間が逼《せま》っているのを承知の癖に、彼は相手さえ悪い顔をしなければ、いつまで坐り込んでいても差支《さしつか》えないものと独《ひと》りで合点《がてん》しているらしかった。
 彼は津田の病気をよく知っていた。彼は自分が今度地位を得て朝鮮に行く事を話した。彼のいうところによれば、その地位は未来に希望のある重要のものであった。彼はまた探偵に跟《つ》けられた話をした。それは津田といっしょに藤井から帰る晩の出来事だと云って、驚ろいたお延の顔を面白そうに眺めた。彼は探偵に跟けられるのが自慢らしかった。おおかた社会主義者として目指《めざ》されているのだろうという説明までして聴かせた。
 彼の談話には気の弱い女に衝撃《ショック》を与えるような部分があった。津田から何にも聞いていないお延は、怖々《こわごわ》ながらついそこに釣り込まれて大切な時間を度外においた。しかし彼の云う事を素直にはいはい聴いているとどこまで行ってもはてしがなかった。しまいにはこっちから催促して、早く向うに用事を切り出させるように仕向けるよりほかに途《みち》がなくなった。彼は少しきまりの悪そうな様子をしてようやく用向を述べた。それは昨夕《ゆうべ》お延とお時をさんざ笑わせた外套《がいとう》の件にほかならなかった。
「津田君から貰うっていう約束をしたもんですから」
 彼の主意は朝鮮へ立つ前ちょっとその外套を着て見て、もしあんまり自分の身体《からだ》に合わないようなら今のうちに直させたいというのであった。
 お延はすぐ入用《いりよう》の品を箪笥《たんす》の底から出してやろうかと思った。けれども彼女はまだ津田から何にも聞いていなかった。
「どうせもう着る事なんかなかろうとは思うんですが」といって逡巡《ためら》った彼女は、こんな事に案外やかましい夫の気性《きしょう》をよく知っていた。着古した外套《がいとう》一つが本《もと》で、他日細君の手落呼《ておちよば》わりなどをされた日には耐《たま》らないと思った。
「大丈夫ですよ、くれるって云ったに違《ちがい》ないんだから。嘘《うそ》なんか吐《つ》きやしませんよ」
 出してやらないと小林を嘘吐《うそつき》としてしまうようなものであった。
「いくら酔払っていたって気は確《たしか》なんですからね。どんな事があったって貰う物を忘れるような僕じゃありませんよ」
 お延はとうとう決心した。
「じゃしばらく待ってて下さい。電話でちょっと病院へ聞き合せにやりますから」
「奥さんは実に几帳面《きちょうめん》ですね」と云って小林は笑った。けれどもお延の暗《あん》に恐れていた不愉快そうな表情は、彼の顔の
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