の隠袋《かくし》の中にあるビー玉が数珠《じゅず》を劇《はげ》しく揉《も》むように鳴った。背嚢《はいのう》の中では弁当箱だか教科書だかが互にぶつかり合う音がごとりごとりと聞こえた。
彼は曲り角の黒板塀《くろいたべい》の所でちょっと立ちどまって鼬《いたち》のように津田をふり返ったまま、すぐ小さい姿を小路《こうじ》のうちに隠した。津田がその小路を行き尽して突《つ》きあたりにある藤井の門を潜《くぐ》った時、突然ドンという銃声が彼の一間ばかり前で起った。彼は右手の生垣《いけがき》の間から大事そうに彼を狙撃《そげき》している真事の黒い姿を苦笑をもって認めた。
二十五
座敷で誰かと話をしている叔父の声を聞いた津田は、格子《こうし》の間から一足の客靴を覗《のぞ》いて見たなり、わざと玄関を開けずに、茶の間の縁側《えんがわ》の方へ廻った。もと植木屋ででもあったらしいその庭先には木戸の用心も竹垣の仕切《しきり》もないので、同じ地面の中に近頃建て増された新らしい貸家の勝手口を廻ると、すぐ縁鼻《えんばな》まで歩いて行けた。目隠しにしては少し低過ぎる高い茶の樹を二三本通り越して、彼の記憶にいつまでも残っている柿の樹《き》の下を潜《くぐ》った津田は、型のごとくそこに叔母の姿を見出《みいだ》した。障子《しょうじ》の篏入硝子《はめガラス》に映るその横顔が彼の眼に入った時、津田は外部《そと》から声を掛けた。
「叔母さん」
叔母はすぐ障子を開けた。
「今日はどうしたの」
彼女は子供が買って貰った空気銃の礼も云わずに、不思議そうな眼を津田の上に向けた。四十の上をもう三つか四つ越したこの叔母の態度には、ほとんど愛想《あいそ》というものがなかった。その代り時と場合によると世間並《せけんなみ》の遠慮を超越した自然が出た。そのうちにはほとんど性《セックス》の感じを離れた自然さえあった。津田はいつでもこの叔母と吉川の細君とを腹の中で比較した。そうしていつでもその相違に驚ろいた。同じ女、しかも年齢《とし》のそう違わない二人の女が、どうしてこんなに違った感じを他《ひと》に与える事ができるかというのが、第一の疑問であった。
「叔母さんは相変らず色気がないな」
「この年齢になって色気があっちゃ気狂《きちがい》だわ」
津田は縁側《えんがわ》へ腰をかけた。叔母は上《あが》れとも云わないで、膝《ひざ
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