。彼は突然玄関へ馬車を横付にする、そうして怒鳴《どな》り込むような大きな声を出して彼の室《へや》へ入ってくる小林の姿を眼前に髣髴《ほうふつ》した。
「何しに来た」
「何しにでもない、貴様を厭《いや》がらせに来たんだ」
「どういう理由《わけ》で」
「理由も糸瓜《へちま》もあるもんか。貴様がおれを厭《いや》がる間は、いつまで経《た》ってもどこへ行っても、ただ追《おっ》かけるんだ」
「畜生ッ」
 津田は突然|拳《こぶし》を固めて小林の横《よこ》ッ面《つら》を撲《なぐ》らなければならなかった。小林は抵抗する代りに、たちまち大の字になって室《へや》の真中へ踏《ふ》ん反《ぞ》り返らなければならなかった。
「撲ったな、この野郎。さあどうでもしろ」
 まるで舞台の上でなければ見られないような活劇が演ぜられなければならなかった。そうしてそれが宿中《やどじゅう》の視聴を脅《おびや》かさなければならなかった。その中には是非とも清子が交《まじ》っていなければならなかった。万事は永久に打ち砕かれなければならなかった。
 事実よりも明暸《めいりょう》な想像の一幕《ひとまく》を、描くともなく頭の中に描き出した津田は、突然ぞっとして我に返った。もしそんな馬鹿げた立ち廻りが実際生活の表面に現われたらどうしようと考えた。彼は羞恥《しゅうち》と屈辱を遠くの方に感じた。それを象徴するために、頬《ほお》の内側が熱《ほて》って来るような気さえした。
 しかし彼の批判はそれぎり先へ進めなかった。他《ひと》に対して面目《めんぼく》を失う事、万一そんな不始末をしでかしたら大変だ。これが彼の倫理観の根柢《こんてい》に横《よこた》わっているだけであった。それを切りつめると、ついに外聞が悪いという意味に帰着するよりほかに仕方がなかった。だから悪い奴《やつ》はただ小林になった。
「おれに何の不都合《ふつごう》がある。彼奴《あいつ》さえいなければ」
 彼はこう云って想像の幕に登場した小林を責めた。そうして自分を不面目にするすべての責任を相手に背負《しょ》わせた。
 夢のような罪人に宣告を下した後《あと》の彼は、すぐ心の調子を入れ代えて、紙入の中から一枚の名刺を出した。その裏に万年筆で、「僕は静養のため昨夜《さくや》ここへ来ました」と書いたなり首を傾けた。それから「あなたがおいでの事を今朝《けさ》聴きました」と付け足してまた考
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