なかった。お延にはそれを認めるだけの眼があった。けれどもそうすれば事の矛盾はなお募《つの》るばかりであった。
「でも先刻《さっき》手紙をお寄こしになったのね」
「ああやったよ」
「今日来ちゃいけないと書いてあるのね」
「うん、少し都合《つごう》の悪い事があったから」
「なぜあたしが来ちゃ御都合が悪いの」
 津田はようやく気がついた。彼はお延の様子を見ながら答えた。
「なに何でもないんだ。下らない事なんだ」
「でも、わざわざ使に持たせてお寄こしになるくらいだから、何かあったんでしょう」
 津田はごまかしてしまおうとした。
「下らない事だよ。何でまたそんな事を気にかけるんだ。お前も馬鹿だね」
 慰藉《いしゃ》のつもりで云った津田の言葉はかえって反対の結果をお延の上に生じた。彼女は黒い眉《まゆ》を動かした。無言のまま帯の間へ手を入れて、そこから先刻の書翰《しょかん》を取り出した。
「これをもう一遍見てちょうだい」
 津田は黙ってそれを受け取った。
「別段何にも書いちゃないじゃないか」と云った時、彼は腹はようやく彼の口を否定した。手紙は簡単であった。けれどもお延の疑いを惹《ひ》くには充分であった。すでに疑われるだけの弱味をもっている彼は、やり損《そく》なったと思った。
「何にも書いてないから、その理由《わけ》を伺うんです」とお延は云った。
「話して下すってもいいじゃありませんか。せっかく来たんだから」
「お前はそれを聴《き》きに来たのかい」
「ええ」
「わざわざ?」
「ええ」
 お延はどこまで行っても動かなかった。相手の手剛《てごわ》さを悟《さと》った時、津田は偶然好い嘘《うそ》を思いついた。
「実は小林が来たんだ」
 小林の二字はたしかにお延の胸に反響した。しかしそれだけではすまなかった。彼はお延を満足させるために、かえってそこを説明してやらなければならなくなった。

        百四十六

「小林なんかに逢《あ》うのはお前も厭《いや》だろうと思ってね。それで気がついたからわざわざ知らしてやったんだよ」
 こう云ってもお延はまだ得心した様子を見せなかったので、津田はやむをえず慰藉《いしゃ》の言葉を延ばさなければならなかった。
「お前が厭でないにしたところで、おれが厭なんだ、あんな男にお前を合わせるのは。それにあいつがまたお前に聴かせたくないような厭な用事を持ち込んで来
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