から云えば、そう見識ばるのが取りも直さずあなたの臆病なところなんですよ、好《よ》ござんすか。なぜと云って御覧なさい。そんな見識はただの見栄《みえ》じゃありませんか。よく云ったところで、上《うわ》っ面《つら》の体裁《ていさい》じゃありませんか。世間に対する手前と気兼《きがね》を引いたら後に何が残るんです。花嫁さんが誰も何とも云わないのに、自分できまりを悪くして、三度の御飯を控えるのと同《おん》なじ事よ」
 津田は呆気《あっけ》に取られた。夫人の小言《こごと》はまだ続いた。
「つまり色気が多過ぎるから、そんな入《い》らざるところに我《が》を立てて見たくなるんでしょう。そうしてそれがあなたの己惚《おのぼれ》に生れ変って変なところへ出て来るんです」
 津田は仕方なしに黙っていた。夫人は容赦なく一歩進んでその己惚を説明した。
「あなたはいつまでも品《ひん》よく黙っていようというんです。じっと動かずにすまそうとなさるんです。それでいて内心ではあの事が始終《しじゅう》苦《く》になるんです。そこをもう少し押して御覧なさいな。おれがこうしているうちには、今に清子の方から何か説明して来るだろう来るだろうと思って――」
「そんな事を思ってるもんですか、なんぼ私《わたくし》だって」
「いえ、思っているのと同《おん》なじだというのです。実際どこにも変りがなければ、そう云われたってしようがないじゃありませんか」
 津田にはもう反抗する勇気がなかった。機敏な夫人はそこへつけ込んだ。
「いったいあなたはずうずうしい性質《たち》じゃありませんか。そうしてずうずうしいのも世渡りの上じゃ一徳《いっとく》だぐらいに考えているんです」
「まさか」
「いえ、そうです。そこがまだ私《わたし》に解らないと思ったら、大間違です。好いじゃありませんか、ずうずうしいで、私はずうずうしいのが好きなんだから。だからここで持前のずうずうしいところを男らしく充分発揮なさいな。そのために私がせっかく骨を折って拵《こしら》えて来たんだから」
「ずうずうしさの活用ですか」と云った津田は言葉を改めた。
「あの人は一人で行ってるんですか」
「無論一人です」
「関は?」
「関さんはこっちよ。こっちに用があるんですもの」
 津田はようやく行く事に覚悟をきめた。

        百四十二

 しかし夫人と津田の間には結末のつかないまだ一つの
前へ 次へ
全373ページ中269ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング