んなつまらない事を心配していらっしゃるの。何か特別な事情でもあるの」
 津田はやはり元の所へ眼をつけていた。それはなるべく妹に自分の心を気取《けど》られないためであった。眼の色を彼女に読まれないためであった。そうして現にその不自然な所作《しょさ》から来る影響を受けていた。彼は何となく臆病な感じがした。彼はようやくお秀の方を向いた。
「別に心配もしていないがね」
「ただ気になるの」
 この調子で押して行くと彼はただお秀から冷笑《ひや》かされるようなものであった。彼はすぐ口を閉じた。
 同時に先刻《さっき》から催おしていた収縮感がまた彼の局部に起った。彼は二三度それを不愉快に経験した後で、あるいは今度も規則正しく一定の時間中繰り返さなければならないのかという掛念《けねん》に制せられた。
 そんな事に気のつかないお秀は、なぜだか同じ問題をいつまでも放さなかった。彼女はいったん緒口《いとくち》を失ったその問題を、すぐ別の形で彼の前に現わして来た。
「兄さんはいったい嫂《ねえ》さんをどんな人だと思っていらっしゃるの」
「なぜ改まって今頃そんな質問をかけるんだい。馬鹿らしい」
「そんならいいわ、伺わないでも」
「しかしなぜ訊《き》くんだよ。その訳を話したらいいじゃないか」
「ちょっと必要があったから伺ったんです」
「だからその必要をお云いな」
「必要は兄さんのためよ」
 津田は変な顔をした。お秀はすぐ後を云った。
「だって兄さんがあんまり小林さんの事を気になさるからよ。何だか変じゃありませんか」

「そりゃお前にゃ解らない事なんだ」
「どうせ解らないから変なんでしょうよ。じゃいったい小林さんがどんな事をどんな風に嫂さんに持ちかけるって云うの」
「持ちかけるとも何とも云っていやしないじゃないか」
「持ちかける恐れがあるという意味です。云い直せば」
 津田は答えなかった。お秀は穴の開《あ》くようにその顔を見た。
「まるで想像がつかないじゃありませんか。たとえばいくらあの人が人が悪くなったにしたところで、何も云いようがないでしょう。ちょっと考えて見ても」
 津田はまだ答えなかった。お秀はどうしても津田の答えるところまで行こうとした。
「よしんば、あの人が何か云うにしたところで、嫂さんさえ取り合わなければそれまでじゃありませんか」
「そりゃ聴《き》かないでも解ってるよ」
「だからあたし
前へ 次へ
全373ページ中181ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング