で、単に口先の云い前と思わなければならなかった。父がまた何で彼に対してそんなしらじらしい他人行儀を云って寄こしたものだろう。叱るならもっと男らしく叱ったらよさそうなものだのに。
 彼は沈吟《ちんぎん》して考えた。山羊髯《やぎひげ》を生《は》やして、万事にもったいをつけたがる父の顔、意味もないのに束髪《そくはつ》を嫌《きら》って髷《まげ》にばかり結《ゆ》いたがる母の頭、そのくらいの特色はこの場合を解釈する何の手がかりにもならなかった。
「いったい兄さんが約束通りになさらないから悪いのよ」とお秀が云った。事件以後何度となく彼女のよって繰り返されるこの言葉ほど、津田の聞きたくないものはなかった。約束通りにしないのが悪いくらいは、妹に教わらないでも、よく解っていた。彼はただその必要を認めなかっただけなのである。そうしてその立場を他《ひと》からも認めて貰いたかったのである。
「だってそりゃ無理だわ」とお秀が云った。「いくら親子だって約束は約束ですもの。それにお父さんと兄さんだけの事なら、どうでもいいでしょうけれども」
 お秀には自分の良人《おっと》の堀がそれに関係しているという事が一番重要な問題であった。
「良人《うち》でも困るのよ。あんな手紙をお母さんから寄こされると」
 学校を卒業して、相当の職にありついて、新らしく家庭を構える以上、曲りなりにも親の厄介にならずに、独立した生計を営なんで行かなければならないという父の意見を翻《ひる》がえさせたものは堀の力であった。津田から頼まれて、また無雑作《むぞうさ》にそれを引き受けた堀は、物価の騰貴《とうき》、交際の必要、時代の変化、東京と地方との区別、いろいろ都合の好い材料を勝手に並べ立てて、勤倹一方の父を口説《くど》き落《おと》したのである。その代り盆暮に津田の手に渡る賞与の大部分を割《さ》いて、月々の補助を一度に幾分か償却させるという方針を立てたのも彼であった。その案の成立と共に責任のできた彼はまた至極《しごく》呑気《のんき》な男であった。約束の履行《りこう》などという事は、最初から深く考えなかったのみならず、遂行《すいこう》の時期が来た時分には、もうそれを忘れていた。詰責《きっせき》に近い手紙を津田の父から受取った彼は、ほとんどこの事件を念頭においていなかっただけに、驚ろかされた。しかし現金の綺麗《きれい》に消費されてしまった
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