で取《と》り繕《つく》ろって、他人の前に、何一つ不足のない夫を持った妻としての自分を示さなければならないとのみ考えている彼女は、心に感じた通りの何物をも叔父の前に露出する自由をもっていなかった。もう少しで涙が眼の中に溜《た》まろうとしたところを、彼女は瞬《またた》きでごまかした。
「いくらお誂《あつ》らえ向《むき》でも、こう年を取っちゃ仕方がない。ねえお延」
年の割にどこへ行っても若く見られる叔母が、こう云って水々した光沢《つや》のある眼をお延の方に向けた時、お延は何にも云わなかった。けれども自分の感情を隠すために、第一の機会を利用する事は忘れなかった。彼女はただ面白そうに声を出して笑った。
六十二
親身《しんみ》の叔母よりもかえって義理の叔父の方を、心の中で好いていたお延は、その報酬として、自分もこの叔父から特別に可愛《かわい》がられているという信念を常にもっていた。洒落《しゃらく》でありながら神経質に生れついた彼の気合《きあい》をよく呑み込んで、その両面に行き渡った自分の行動を、寸分|違《たが》わず叔父の思い通りに楽々と運んで行く彼女には、いつでも年齢《とし》の若さから来る柔軟性が伴っていたので、ほとんど苦痛というものなしに、叔父を喜こばし、また自分に満足を与える事ができた。叔父が鑑賞の眼を向けて、常に彼女の所作《しょさ》を眺めていてくれるように考えた彼女は、時とすると、変化に乏しい叔母の骨はどうしてあんなに堅いのだろうと怪しむ事さえあった。
いかにして異性を取り扱うべきかの修養を、こうして叔父からばかり学んだ彼女は、どこへ嫁に行っても、それをそのまま夫に応用すれば成効《せいこう》するに違ないと信じていた。津田といっしょになった時、始めて少し勝手の違うような感じのした彼女は、この生れて始めての経験を、なるほどという眼つきで眺めた。彼女の努力は、新らしい夫を叔父のような人間に熟《こな》しつけるか、またはすでに出来上った自分の方を、新らしい夫に合うように改造するか、どっちかにしなければならない場合によく出合った。彼女の愛は津田の上にあった。しかし彼女の同情はむしろ叔父型の人間に注《そそ》がれた。こんな時に、叔父なら嬉《うれ》しがってくれるものをと思う事がしばしば出て来た。すると自然の勢いが彼女にそれを逐一《ちくいち》叔父に話してしまえと命令
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