平らげ切れないほどの白い豆腐が生《なま》のままで供えられた。
 むくむくと肥え太った叔父の、わざとする情《なさけ》なさそうな顔を見たお延は、大して気の毒にならないばかりか、かえって笑いたくなった。
「少しゃ断食でもした方がいいんでしょう。叔父さんみたいに肥って生きてるのは、誰だって苦痛に違ないから」
 叔父は叔母を顧《かえり》みた。
「お延は元から悪口やだったが、嫁に行ってから一層達者になったようだね」

        六十一

 小さいうちから彼の世話になって成長したお延は、いろいろの角度で出没《しゅつぼつ》するこの叔父の特色を他人よりよく承知していた。
 肥った身体《からだ》に釣り合わない神経質の彼には、時々自分の室《へや》に入ったぎり、半日ぐらい黙って口を利《き》かずにいる癖がある代りに、他《ひと》の顔さえ見ると、また何かしらしゃべらないでは片時《かたとき》もいられないといった気作《きさく》な風があった。それが元気のやり場所に困るからというよりも、なるべく相手を不愉快にしたくないという対人的な想《おも》いやりや、または客を前に置いて、ただのつそつとしている自分の手持無沙汰《てもちぶさた》を避けるためから起る場合が多いので、用件以外の彼の談話には、彼の平生の心がけから来る一種の興味的中心があった。彼の成効《せいこう》に少なからぬ貢献をもたらしたらしく思われる、社交上|極《きわ》めて有利な彼のこの話術は、その所有者の天から稟《う》けた諧謔趣味《かいぎゃくしゅみ》のために、一層|派出《はで》な光彩を放つ事がしばしばあった。そうしてそれが子供の時分から彼の傍《そば》にいたお延の口に、いつの間にか乗り移ってしまった。機嫌《きげん》のいい時に、彼を向うへ廻して軽口《かるくち》の吐《つ》き競《くら》をやるくらいは、今の彼女にとって何の努力も要《い》らない第二の天性のようなものであった。しかし津田に嫁《とつ》いでからの彼女は、嫁ぐとすぐにこの態度を改めた。ところが最初|慎《つつし》みのために控えた悪口《わるくち》は、二カ月経っても、三カ月経ってもなかなか出て来なかった。彼女はついにこの点において、岡本にいた時の自分とは別個の人間になって、彼女の夫に対しなければならなくなった。彼女は物足らなかった。同時に夫を欺《あざ》むいているような気がしてならなかった。たまに来て、もとに変
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