専門家になろうとした事がありました。私は建築家になろうと思ったのです。何故っていうような問題ではない。けれどもついでだから話します。
 まだ子供のとき、財産がなかったので、一人で食わなければならないという事は知っていました。忙がしくなく時間づくめでなくて飯が食えるという事について非常に考えました。しかし立派な技術を持ってさえいれば、変人でも頑固でも人が頼むだろうと思いました。佐々木東洋《ささきとうよう》という医者があります。この医者が大へんな変人で、患者をまるで玩具か人形のように扱う、愛嬌《あいきょう》のない人です。それではやらないかといえば不思議なほどはやって、門前市《もんぜんいち》をなす有様《ありさま》です。あんな無愛想《ぶあいそう》な人があれだけはやるのはやはり技術があるからだと思いました。それだから建築家になったら、私も門前市をなすだろうと思いました。丁度《ちょうど》それは高等学校時分の事で、親友に米山保三郎《よねやまやすさぶろう》という人があって、この人は夭折《ようせつ》しましたが、この人が私に説諭《せつゆ》しました。セント・ポールズのような家は我国にははやらない。下らない家
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