、握っている束がにちゃにちゃする。唇《くちびる》が顫《ふる》えた。
短刀を鞘へ収めて右脇へ引きつけておいて、それから全伽《ぜんが》を組んだ。――趙州《じょうしゅう》曰く無《む》と。無とは何だ。糞坊主《くそぼうず》めとはがみをした。
奥歯を強く咬《か》み締《し》めたので、鼻から熱い息が荒く出る。こめかみが釣って痛い。眼は普通の倍も大きく開けてやった。
懸物《かけもの》が見える。行灯が見える。畳《たたみ》が見える。和尚の薬缶頭《やかんあたま》がありありと見える。鰐口《わにぐち》を開《あ》いて嘲笑《あざわら》った声まで聞える。怪《け》しからん坊主だ。どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならん。悟ってやる。無だ、無だと舌の根で念じた。無だと云うのにやっぱり線香の香《におい》がした。何だ線香のくせに。
自分はいきなり拳骨《げんこつ》を固めて自分の頭をいやと云うほど擲《なぐ》った。そうして奥歯をぎりぎりと噛《か》んだ。両腋《りょうわき》から汗が出る。背中が棒のようになった。膝《ひざ》の接目《つぎめ》が急に痛くなった。膝が折れたってどうあるものかと思った。けれども痛い。苦しい。無《む》はなかな
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