うどうまい折だから、椅子から立ち上がるや否や、帳場格子《ちょうばごうし》の方をふり返って見た。けれども格子のうちには女も札も何にも見えなかった。
代《だい》を払って表へ出ると、門口《かどぐち》の左側に、小判《こばん》なりの桶《おけ》が五つばかり並べてあって、その中に赤い金魚や、斑入《ふいり》の金魚や、痩《や》せた金魚や、肥《ふと》った金魚がたくさん入れてあった。そうして金魚売がその後《うしろ》にいた。金魚売は自分の前に並べた金魚を見つめたまま、頬杖《ほおづえ》を突いて、じっとしている。騒がしい往来《おうらい》の活動にはほとんど心を留めていない。自分はしばらく立ってこの金魚売を眺めていた。けれども自分が眺めている間、金魚売はちっとも動かなかった。
第九夜
世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争《いくさ》が起りそうに見える。焼け出された裸馬《はだかうま》が、夜昼となく、屋敷の周囲《まわり》を暴《あ》れ廻《まわ》ると、それを夜昼となく足軽共《あしがるども》が犇《ひしめ》きながら追《おっ》かけているような心持がする。それでいて家のうちは森《しん》として静かである。
家に
前へ
次へ
全41ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング