とあるのみと云う態度だ。天晴《あっぱ》れだ」と云って賞《ほ》め出した。
 自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在《だいじざい》の妙境に達している」と云った。
 運慶は今太い眉《まゆ》を一寸《いっすん》の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪《たて》に返すや否や斜《は》すに、上から槌を打《う》ち下《おろ》した。堅い木を一《ひ》と刻《きざ》みに削《けず》って、厚い木屑《きくず》が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開《ぴら》いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀《とう》の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾《さしはさ》んでおらんように見えた。
「よくああ無造作《むぞうさ》に鑿を使って、思うような眉《まみえ》や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言《ひとりごと》のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋《うま》っているのを、鑿《のみ》と槌《つち》の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
 自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫《ほ》ってみたくなったから見物をやめてさっそく家《うち》へ帰った。
 道具箱から鑿《のみ》と金槌《かなづち》を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風《あらし》で倒れた樫《かし》を、薪《まき》にするつもりで、木挽《こびき》に挽《ひ》かせた手頃な奴《やつ》が、たくさん積んであった。
 自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫《ほ》り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片《かた》っ端《ぱし》から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵《かく》しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋《うま》っていないものだと悟った。それで運慶が今日《きょう》まで生きている理由もほぼ解った。

     第七夜

 何でも大きな船に乗っている。
 この船が毎日毎夜すこしの絶間《たえま》なく黒い煙《けぶり》を吐いて
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