で仁王《におう》を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評《げばひょう》をやっていた。
山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜《なな》めに山門の甍《いらか》を隠して、遠い青空まで伸《の》びている。松の緑と朱塗《しゅぬり》の門が互いに照《うつ》り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障《めざわり》にならないように、斜《はす》に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出《つきだ》しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中《うち》でも車夫が一番多い。辻待《つじまち》をして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵《こしら》えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫《ほ》るのかね。へえそうかね。私《わっし》ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でも日本武尊《やまとだけのみこと》よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折《はしょ》って、帽子を被《かぶ》らずにいた。よほど無教育な男と見える。
運慶は見物人の評判には委細|頓着《とんじゃく》なく鑿《のみ》と槌《つち》を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺《あたり》をしきりに彫《ほ》り抜《ぬ》いて行く。
運慶は頭に小さい烏帽子《えぼし》のようなものを乗せて、素袍《すおう》だか何だかわからない大きな袖《そで》を背中《せなか》で括《くく》っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向《あおむ》いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我《わ》れ
前へ
次へ
全21ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング