の量が減ったでしょうかてような事を、真面目《まじめ》くさって質問していた。

        四十一

 橋本が博士《はかせ》になったり、ならなかったりした話がある。大連の大和《やまと》ホテルにいる時分、満鉄から封書が届いた。その表に橋本農学博士殿と叮嚀《ていねい》に書いてあったのを乙《おつ》に眺めながら、これだから厭《いや》になっちまうと云って余の方を向いて苦笑したから、先生は学者ぶって、むやみに博士|呼《よば》わりをされるのを苦にする意味なんだろうと鑑定して、取り合ってやらなかった。実際こんな事が苦になるくらいなら、始めから博士にならなければ好いと思ったからである。その時はそれですんだ。
 余は橋本をもって固《もと》より農学博士と信じていた。是公《ぜこう》もそう信じていた。現にある人に向って橋本って農学博士さと説明しているのを聞いた。余に至っては、いつかの新聞で、本人の博士になった事をたしかに承知した記憶がある。それで大連を立って北に行く時も、栄誉ある博士の同伴者だと云う自覚がちゃんとあった。ところが毎日毎晩一つ鍋《なべ》のものを突《つ》ついて進行しているうちに、何かの拍子《ひょうし》だったが、いやおれは博士じゃないよと急に橋本が云い出した。その時はいくら本人が証明したってなるほどと云う気になれないくらい驚いた。第一、十年近くも大学の教授をしている男を、博士にしない法はないと考えてる上、どうしても新聞でその授与式を拝見したとしか思われないんだから、余もできるだけは抗弁したが、やっぱり博士じゃないと頑固《がんこ》を張って云う事を聞かない。余もやむをえず、そうかと云って我《が》を折った。この時から橋本は気の毒ながらとうとう、ただの人間になってしまった。
 けれども、世間には迂濶《うかつ》ものが多いと見えて、どこへ行っても橋本博士、橋本博士と云う。新聞を折々読むときっと橋本博士と出ている。しまいにはおいまた博士だよと注意するのが面倒になった。橋本も澄《すま》し返《かえ》っている。もっとも澄まし返さなくったって、一々博士じゃありませんと訂正して歩く訳に行くものじゃない。こう云う余にも覚《おぼえ》がある。釜山《ふざん》から馬関《ばかん》へ渡る船中で、拓殖《たくしょく》会社の峰八郎君《みねはちろうくん》の妻君に逢《あ》ったとき、八郎君は真面目《まじめ》な[#「な」は底本では「を」]顔をして、これは夏目博士と引き合した。すると妻君が御名前はかねて伺っておりますと叮嚀《ていねい》に御辞儀《おじぎ》をされるから、余もやむをえず、はあと云ったなり博士らしく挨拶《あいさつ》をした。だから橋本が博士に慣れ切って満洲を朝鮮へ渡るに何も不思議はない。余もいったんは彼の博士を撤回したようなものの、日を重ねるに従ってまた何だか博士らしい気持がし出した。それで道中つつがなく安奉線《あんぽうせん》を通って、安東県《あんとうけん》までやって来た。ところがここで橋本の博士がちょっと気に食わなくなった。安東県の宿屋の番頭がどう云う不料簡《ふりょうけん》か、橋本博士御手荷物のうちと云う札を余の革鞄《かばん》にぴたぴた結《いわ》いつけてしまった。腹が立ったが面倒だからそのままにしておくと次の宿屋で橋本と分れる事になって、向うの手荷物を停車場《ステーション》へ運び出す際に、余の奇麗《きれい》な革鞄《かばん》を橋本のものだと思い込んで、宿屋の小僧がずんずん停車場まで持って行ってしまった。余は冗談じゃないぜと云った。橋本は面白がって笑っていた。それだから、また博士にならない。

        四十二

 ここだと云うので、降りたには降りたが、夜の事だから方角も見当もまるで分らない。頼りに思う停車場は縁日の夜店ほどに小さいものであった。その軒を離れるとなおさら淋しい。空には星があるが、高い所に己《おのれ》と光るのみで、足元の景気にはならなかった。汽車路を通って行くと、鉄軌《レール》の色が前後五六尺ばかり、提灯《ちょうちん》の灯《ひ》に照らされて、露《つゆ》のごとく映ってはまた消えて行く。そのほかに何も見えなかった。やがて右へ切れて堤のようなものをだらだらと下りる心持がしたが、それも六七歩を超《こ》えると、靴を置く土の感じが不断《ふだん》に戻ったので、また平地《ひらち》へ出たなと気がついた。すると虫の音《ね》が聞えだした。足元で少しばかり鳴いてるような家庭的なものではない。虫の音《ね》だと云う分別《ふんべつ》が出た時には、その声がもう左右前後に遠く続いていた。我々は一つの提灯《ちょうちん》を先にして、平原にはびこる無尽蔵の虫の音に包まれながら歩いた。
 今考えると、なかなか風流である。筆を執《と》って書いていても、魏叔子《ぎしゅくし》の大鉄椎《だいてっつい》の伝《でん》にある曠野《こうや》の景色《けいしょく》が眼の前に浮んでくる。けれども歩いている途中は実に苦しかった。飯の菜《さい》に奴豆腐《やっこどうふ》を一丁食ったところが、その豆腐が腹へ這入《はい》るや否や急に石灰《いしばい》の塊《かたまり》に変化して、胃の中を塞《ふさ》いでいるような心持である。腮《あご》の奥から締めつけられて、やむをえない性質《たち》の唾液《つばき》が流れ出す。それに誘《いざな》われるままにしておくと、嘔《は》きたくなる。せめて口中の折合《おりあい》でもと思って、少し抵抗しにかかると、足が竦《すく》んで動けなくなる。余は幾度《いくたび》か虫の音の中に苦しい尻を落ちつけようかと思った。ただ橋本に心配させるのが、気の毒である。支那の荷持《にもち》に野糞《のぐそ》を垂《た》れてると誤解されたって手柄《てがら》にもならない。そこで無理に歩いた。
 遥《はるか》向うに灯《ひ》が一つ見える。余が歩いている路は平らである。灯はその真正面に当る。あすこへ行くんだろうと推測して星の下を無言に辿《たど》った。今日の午《ひる》は営口で正金銀行の杉原君の御馳走《ごちそう》を断った。晩は天春君《あまかすくん》の斡旋《あっせん》ですでに準備のできている宴会を断った。そうして逃げるように汽車に乗った。乗る時橋本にこの様子じゃ千山《せんざん》行は撤回だと云った。実際撤回しなければならないほど、容体《ようだい》が危《あや》しくなって来た。ただ向うに見える一点の灯火《ともしび》が、今夜の運命を決する孤《ひと》つ家《や》であると覚悟して、寂寞《せきばく》たる原を真直《まっすぐ》に横切った。原のなかには、この灯火よりほかに当《あて》になるものは一つも見つからないのだから心細かった。宿屋はたった一軒かと聞いたら、案内がええと答えた。湯崗子《とうこうし》は温泉場だと橋本のプログラムの中にちゃんと出ているのだから、温泉がこの茫々《ぼうぼう》たる原の底から湧《わ》いて出るのだろうとは、始めから想像する事ができたが、これほど淋《さび》しい野の面《おもて》に、ただ一軒の宿屋がひっそり立っていようとは思いがけなかった。
 そのうちようやく灯のある所へ着いた。平家作《ひらやづくり》の西洋館で、床《ゆか》の高さが地面とすれすれになるほど低い。板間《いたま》ではあるが無論靴で出入《でいり》をする。宿の女は草履《ぞうり》を穿《は》いていた。遠くから見たと同じように浮き立たない家であった。造作《ぞうさく》のつかない広い空家《あきや》へ洋灯《ランプ》を点《とも》して住《すま》っているのかと思った。這入るとすぐの大広間に置いてあったオルガンさえ、先の持主が忘れて置いて行ったものとしか受取れなかった。暗い廊下を突き当って右へ折れた翼《ウイング》の端《はじ》の室《へや》へ案内された。中を二つに仕切ってある。低い床には、椅子と洋卓《テーブル》と色の褪《さ》めた長椅子とが置いてあった。高い方は畳を敷いて、日本らしく取《と》り繕《つくろ》ってあった。ちょうど土間から座敷へ上《あが》るようにして、甲から乙に移る構造である。余はいきなり畳の上に倒れた。三四十分の後《のち》膳《ぜん》が出た。橋本がしきりに起きて食えと勧めたが、ついに起きなかった。第一食卓に何が盛られたかをさえ見なかった。眼を開ける勇気すら無かったのである。

        四十三

 朝起きると、馬が来たとか来ないとか云って橋本の連中が騒いでいる。連中は三人だから、一人が一つの馬に乗るとすれば、三匹|要《い》る訳になる。この茫漠《ぼうばく》たる原の中で、生きた馬を三匹|生捕《いけど》るとなると、手数《てすう》のかかるのは一通りではあるまい。連中は格別早起きもしない癖に、今更苦情を並べたって始まらないと思って、同行を断念した余は、冷然と落ちついていた。本来を云うと、千山《せんざん》へ行くのが目的で、わざわざここに降りたには相違ないが、一旦自分が千山行を諦《あきら》めたとなると、ほかの連中が予定通《よていどおり》に行動するのが、いまいましくなる。第一橋本なんて農科の男は、千山を見る必要も何もないのである。千山は唐《とう》の時代に開いた梵刹《ぼんさつ》で、今だに残っているのは、牛でもなければ豚でもない、ただ山と谷と巌《いわ》と御寺と坊主だけであるから、農科の教授がわざわざ馬に乗って見物に行くべきところではけっしてない。と云ってせっかく行くと云うものを、意見までして思い止まらせるほどの口実は無論考え出せないから、なすがままにさせて放《ほう》っておいた。そのうち不思議な事に、注文通《ちゅうもんどおり》馬が三匹出て来た。どこから出て来たものか聞いても見なかったが、たしかに出て来た。三人は癪《しゃく》に障《さわ》るほど勇んで外へ飛び出した。余は仕方がないから西洋間と日本間の唯一の主人として、この一日を物静かに休養すべく準備した。まず何よりも横になるのが薬だろうと思って、狸《たぬき》だか狐《きつね》だか分らない毛皮の上にごろりと転がった。すると窓の外から橋本の声で、おいおいちょっと出て見ろと呼んでいる。彼《か》れまだそこいらを迷《まご》ついてるなと思うと、少し面白くなったから、請求通《せいきゅうどおり》原の中へ草履《ぞうり》のまま出た。すると広い牧場のようなところに、馬が三匹立っていた。それがいずれも小汚《こぎた》ない駄馬《だうま》だったのではなはだ愉快であった。のみならず、その中《うち》の一匹がどうしても大重君を乗せようと云わない。傍《そば》へ行くと、飛んだり蹴《け》たりする。馬が怖《こわ》がるからだと云って、手拭《てぬぐい》で眼隠《めかく》しをして、支那の小僧が両手で轡《くつわ》をしっかり抑えている。遠くから見ると、馬が鉢巻《はちまき》をしたようでおかしかった。その傍へ大重君が苦笑いをしながら近寄って行くところは、一層面白かった。しかも一度や二度ではない。よほど馬に遠慮する性質《たち》と見えて、容易に埒《らち》を明けないから、みんながなお喝采《かっさい》する。橋本は北海道の住人だから苦《く》もなく鞍《くら》に跨《またが》った。もう一人――名前を忘れたから、もう一人というよりほかに仕方がないが――これは熊岳城《ゆうがくじょう》の苗圃《びょうほ》の長《ちょう》で、もと橋本に教わった事があると云うだけに、手綱を執《と》る術《すべ》を心得ている。余はこの時立ちながら心の中《うち》で、要するに千山行を撤回した方が、馬術家としての余の名誉を完《まっと》うする所以《ゆえん》ではなかろうかと考えた。
 けれども、そんな気色《けしき》は顔にも出さず、ただ残り惜しげに三人の後姿を眺めていた。そうして大重君の腰つきから推測して、千山まであれで乗り通すのは、定めて心配な事だろうと同情した。橋本は今夜のうちに帰るんだとか号して、しきりに馬を急がせるらしい。苗圃長も負けずに、続いて行く。独《ひと》り大重君だけが後《おく》れた。馬はまだ眼隠をしている。やがて二人の影が高粱《こうりょう》に遮《さえ》ぎられて、どっちへ向いて行くかちょっと分らなくなった。先刻《さっき》からそこいらを徘徊《はいかい》していた背の高い支那人もまた高粱の裡《うち》に
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