すさま》じかったので、その以後はこの一廓《ひとくるわ》を化物屋敷と呼ぶようになった。しかし本当だか嘘《うそ》だか実は僕も保証しないと、田中君自身が笑っていたから、余はなおさら保証しない。
ただ満鉄の重役が始めて大連に渡ったとき、この化物屋敷に陣を構えた事だけは事実である。その時この建物は化物さえ住みかねるほどに荒れ果てて、残焼家屋《ざんしょうかおく》として、骸骨《がいこつ》のごとくに突っ立っていたそうである。陣取った連中は死物狂で、天候と欠乏と不便に対して戦後の戦争を開始した。汽車の中で炭を焚《た》いて死《し》に損《そく》なったり、貨車へ乗って、カンテラを点《つ》けて用を足そうとすると、そのカンテラが揺《ゆす》ぶれてすぐ消えてしまったり、サイホンを呑むと二三滴口へ這入《はい》るだけであとはすぐ氷の棒に変化したり、すべてが探険と同様であった。
「清野《せいの》が毛織の襯衣《シャツ》を半ダース重ねて着たのは彼時《あのとき》だよ」
「清野は驚いて、あれっきりやって来ない」
余は田中君と是公がこんな話をするのを聞いて、つい化物屋敷の事を忘れてしまった。
十七
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