出しものの中へ放り込まれてしまった。とうてい普通の馬車では上がれないと云うんだからやむをえない。それでも露西亜人《ロシアじん》だけあって、眼にあまる山のことごとくに砲台を構えて、その砲台のことごとくに、馬車を駆《か》って頂辺《てっぺん》まで登れるような広い路《みち》をつけたのは感心ですとA君が語られる。実際その当時は奇麗《きれい》な馬車を傷《いた》めずに、心持よく砲台のある地点まで乗りつけられたものと見える。ところが戦争がすんで往復の必要がなくなったので、せっかくできた山路に手を入れる機会を失ったため、我々ごとき物数奇《ものずき》は、かように零落《れいらく》した馬車をさえ、時々復活させる始末になるのである。元来旅順ほど小山が四方《よも》に割拠《かっきょ》して、禿頭を炎天に曝《さら》し合《あ》っている所はない。樹《き》が乏しい土質《どしつ》へ、遠慮のない強雨《ごうう》がどっと突き通ると、傾斜の多い山路の側面が、すぐ往来へ崩《くず》れ出す。その崩れるものがけっして尋常の土じゃない。堅い石である。しかも頑固《がんこ》に角張《かどば》っている。ある所などは、五寸から一尺ほどもあろうと云う火打石のために、累々《るいるい》と往来を塞《ふさ》がれている。零落した馬車は容赦なく鳴動《めいどう》してその上を通るのだから、凸凹《でこぼこ》の多い川床《かわどこ》を渡るよりも危険である。二百三高地《にひゃくさんこうち》へ行く途中などでは、とうとうこの火打石に降参して、馬車から下りてしまった。そうして痛い腹を抱《かか》えながら、膏汗《あぶらあせ》になって歩いたくらいである。鶏冠山《けいかんざん》を下りるとき、馬の足掻《あがき》が何だか変になったので、気をつけて見ると、左の前足の爪の中に大きな石がいっぱいに詰《はま》っていた。よほど厚い石と見えて爪から余った先が一寸《いっすん》ほどもある。したがって馬は一寸がた跛《ちんば》を引いて車体を前へ運んで行く訳になる。席から首を延ばして、この様子を見た時は、安んじて車に乗っているのが気の毒なくらい、馬に対して痛わしい心持がした。御者《ぎょしゃ》に注意してやると、御者は支那語で何とか云いながら、鞭《むち》を棄《す》てて下へ下りたが、非常に固く詰《つま》っていたと見えて、叩《たた》いても引っ張っても石が取れないので、またのそのそ御者台へ上がった。そうして、
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