《あが》って見ると豆ばかりである。ただ窓際《まどぎわ》だけが人の通る幅ぐらいの床《ゆか》になっている。余は静かに豆と壁の間をぐるぐる廻って歩いた。気をつけないと、足の裏で豆を踏み潰《つぶ》す恐れがある上に、人のいない天井裏を無益に響かすのが苦《く》になったからである。豆は砂山のごとく脚下に起伏している。こちらの端から向うの端まで眺めて見ると、随分と長い豆の山脈ができ上っていた。その真中を通して三カ所ほどに井桁《いげた》に似た恰好《かっこう》の穴が掘ってある。豆はその中から断えず下へ落ちて行って、平たく引割られるのだそうだ。時々どさっと音がして、三階の一隅《ひとすみ》に新しい砂山ができる。これはクーリーが下から豆の袋を背負《しょ》って来て、加減の好い場所を見計らって、袋の口から、ばらに打《ぶ》ち撒《ま》けて行くのである。その時はぼうと咽《むせ》るような煙《けむ》が立って、数え切れぬほどの豆と豆の間に潜《ひそ》んでいる塵《ちり》が一度に踊《おど》り上《あが》る。
 クーリーはおとなしくて、丈夫で、力があって、よく働いて、ただ見物するのでさえ心持が好い。彼等の背中に担《かつ》いでいる豆の袋は、米俵のように軽いものではないそうである。それを遥《はるか》の下から、のそのそ背負《しょ》って来ては三階の上へ空《あ》けて行く。空けて行ったかと思うとまた空けに来る。何人がかりで順々に運んでくるのか知れないが、その歩調から態度から時間から、間隔からことごとく一様である。通り路は長い厚板を坂に渡して、下から三階までを、普請《ふしん》の足場のように拵《こしら》えてある。彼等はこの坂の一つを登って来て、その一つをまた下りて行く。上《のぼ》るものと下りるものが左右の坂の途中で顔を見合せてもほとんど口を利《き》いた事がない。彼等は舌のない人間のように黙々として、朝から晩まで、この重い豆の袋を担《かつ》ぎ続けに担いで、三階へ上っては、また三階を下《くだ》るのである。その沈黙と、その規則ずくな運動と、その忍耐とその精力とはほとんど運命の影のごとくに見える。実際立って彼等を観察していると、しばらくするうちに妙に考えたくなるくらいである。
 三階から落ちた豆が下へ回るや否や、大きな麻風呂敷《あさぶろしき》が受取って、たちまち釜《かま》の中に運び込む。釜の中で豆を蒸《む》すのは実に早いものである。入れるか
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