ひなた》へ出して曝《さら》しておくうちに黒味《くろみ》が取れてだんだん朱《しゅ》の色が出て来ますから、――そうしてこの竹は一返《いっぺん》善く煮たんだから大丈夫ですよなどと、しきりに説明をしてくれる。何が大丈夫なのかねと聞き返すと、まあ鳥を御覧なさい、奇麗《きれい》でしょうと云っている。
 なるほど奇麗だ。次《つぎ》の間《ま》へ籠を据えて四尺ばかりこっちから見ると少しも動かない。薄暗い中に真白に見える。籠の中にうずくまっていなければ鳥とは思えないほど白い。何だか寒そうだ。
 寒いだろうねと聞いてみると、そのために箱を作ったんだと云う。夜になればこの箱に入れてやるんだと云う。籠《かご》が二つあるのはどうするんだと聞くと、この粗末な方へ入れて時々|行水《ぎょうずい》を使わせるのだと云う。これは少し手数《てすう》が掛るなと思っていると、それから糞《ふん》をして籠を汚《よご》しますから、時々|掃除《そうじ》をしておやりなさいとつけ加えた。三重吉は文鳥のためにはなかなか強硬である。
 それをはいはい引受けると、今度は三重吉が袂《たもと》から粟《あわ》を一袋出した。これを毎朝食わせなくっちゃいけません。もし餌《え》をかえてやらなければ、餌壺《えつぼ》を出して殻《から》だけ吹いておやんなさい。そうしないと文鳥が実《み》のある粟を一々拾い出さなくっちゃなりませんから。水も毎朝かえておやんなさい。先生は寝坊だからちょうど好いでしょうと大変文鳥に親切を極《きわ》めている。そこで自分もよろしいと万事受合った。ところへ豊隆が袂から餌壺と水入を出して行儀よく自分の前に並べた。こういっさい万事を調《ととの》えておいて、実行を逼《せま》られると、義理にも文鳥の世話をしなければならなくなる。内心ではよほど覚束《おぼつか》なかったが、まずやってみようとまでは決心した。もしできなければ家《うち》のものが、どうかするだろうと思った。
 やがて三重吉は鳥籠を叮嚀《ていねい》に箱の中へ入れて、縁側《えんがわ》へ持ち出して、ここへ置きますからと云って帰った。自分は伽藍《がらん》のような書斎の真中に床を展《の》べて冷《ひやや》かに寝た。夢に文鳥を背負《しょ》い込《こ》んだ心持は、少し寒かったが眠《ねぶ》ってみれば不断《ふだん》の夜《よる》のごとく穏かである。
 翌朝《よくあさ》眼が覚《さ》めると硝子戸《ガラスど》に日が射している。たちまち文鳥に餌《え》をやらなければならないなと思った。けれども起きるのが退儀《たいぎ》であった。今にやろう、今にやろうと考えているうちに、とうとう八時過になった。仕方がないから顔を洗うついでをもって、冷たい縁を素足《すあし》で踏みながら、箱の葢《ふた》を取って鳥籠を明海《あかるみ》へ出した。文鳥は眼をぱちつかせている。もっと早く起きたかったろうと思ったら気の毒になった。
 文鳥の眼は真黒である。瞼《まぶた》の周囲《まわり》に細い淡紅色《ときいろ》の絹糸を縫いつけたような筋《すじ》が入っている。眼をぱちつかせるたびに絹糸が急に寄って一本になる。と思うとまた丸くなる。籠を箱から出すや否や、文鳥は白い首をちょっと傾《かたぶ》けながらこの黒い眼を移して始めて自分の顔を見た。そうしてちちと鳴いた。
 自分は静かに鳥籠を箱の上に据《す》えた。文鳥はぱっと留《とま》り木《ぎ》を離れた。そうしてまた留り木に乗った。留り木は二本ある。黒味がかった青軸《あおじく》をほどよき距離に橋と渡して横に並べた。その一本を軽く踏まえた足を見るといかにも華奢《きゃしゃ》にできている。細長い薄紅《うすくれない》の端に真珠を削《けず》ったような爪が着いて、手頃な留り木を甘《うま》く抱《かか》え込《こ》んでいる。すると、ひらりと眼先が動いた。文鳥はすでに留り木の上で方向《むき》を換えていた。しきりに首を左右に傾《かたぶ》ける。傾けかけた首をふと持ち直して、心持前へ伸《の》したかと思ったら、白い羽根がまたちらりと動いた。文鳥の足は向うの留り木の真中あたりに具合よく落ちた。ちちと鳴く。そうして遠くから自分の顔を覗《のぞ》き込んだ。
 自分は顔を洗いに風呂場《ふろば》へ行った。帰りに台所へ廻って、戸棚《とだな》を明けて、昨夕《ゆうべ》三重吉の買って来てくれた粟の袋を出して、餌壺の中へ餌を入れて、もう一つには水を一杯入れて、また書斎の縁側へ出た。
 三重吉は用意周到な男で、昨夕《ゆうべ》叮嚀《ていねい》に餌《え》をやる時の心得を説明して行った。その説によると、むやみに籠の戸を明けると文鳥が逃げ出してしまう。だから右の手で籠の戸を明けながら、左の手をその下へあてがって、外から出口を塞《ふさ》ぐようにしなくっては危険だ。餌壺《えつぼ》を出す時も同じ心得でやらなければならない。とその手つきまでして
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