。二三度試みた後《のち》、自分は気の毒になって、この芸だけは永久に断念してしまった。今の世にこんな事のできるものがいるかどうだかはなはだ疑わしい。おそらく古代の聖徒《せいんと》の仕事だろう。三重吉は嘘《うそ》を吐《つ》いたに違ない。
 或日の事、書斎で例のごとくペンの音を立てて侘《わ》びしい事を書き連《つら》ねていると、ふと妙な音が耳に這入《はい》った。縁側でさらさら、さらさら云う。女が長い衣《きぬ》の裾《すそ》を捌《さば》いているようにも受取られるが、ただの女のそれとしては、あまりに仰山《ぎょうさん》である。雛段《ひなだん》をあるく、内裏雛《だいりびな》の袴《はかま》の襞《ひだ》の擦《す》れる音とでも形容したらよかろうと思った。自分は書きかけた小説をよそにして、ペンを持ったまま縁側へ出て見た。すると文鳥が行水《ぎょうずい》を使っていた。
 水はちょうど易《か》え立《た》てであった。文鳥は軽い足を水入の真中に胸毛《むなげ》まで浸《ひた》して、時々は白い翼《つばさ》を左右にひろげながら、心持水入の中にしゃがむように腹を圧《お》しつけつつ、総身《そうみ》の毛を一度に振《ふ》っている。そうして水入の縁《ふち》にひょいと飛び上る。しばらくしてまた飛び込む。水入の直径は一寸五分ぐらいに過ぎない。飛び込んだ時は尾も余り、頭も余り、背は無論余る。水に浸《つ》かるのは足と胸だけである。それでも文鳥は欣然《きんぜん》として行水《ぎょうずい》を使っている。
 自分は急に易籠《かえかご》を取って来た。そうして文鳥をこの方へ移した。それから如露《じょろ》を持って風呂場へ行って、水道の水を汲《く》んで、籠の上からさあさあとかけてやった。如露《じょろ》の水が尽きる頃には白い羽根から落ちる水が珠《たま》になって転《ころ》がった。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせていた。
 昔紫の帯上《おびあげ》でいたずらをした女が、座敷で仕事をしていた時、裏二階から懐中鏡《ふところかがみ》で女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだ事がある。女は薄紅《うすあか》くなった頬を上げて、繊《ほそ》い手を額の前に翳《かざ》しながら、不思議そうに瞬《まばたき》をした。この女とこの文鳥とはおそらく同じ心持だろう。
 日数《ひかず》が立つにしたがって文鳥は善《よ》く囀《さえ》ずる。しかしよく忘れられる。或る時は餌壺《えつぼ》が粟《あわ》
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