ならない事もまた知れ切った話である。そうしてそれは根の深い国民教育の結果として、始めて一般世間の表面に浮遊して来るより外に途《みち》のないものである。既に根本が此処《ここ》で極《き》まりさえすれば、他の設備は殆んど装飾に過ぎない。(その弊害を勘定に入れない時ですら)。余は政府が文芸保護の最急政策として、何故《なにゆえ》にまず学校教育の遠き源から手を下さなかったかを怪むのである。それほど大仕掛《おおじかけ》の手数を厭う位なら、ついでに文芸院を建てる手数をも厭った方が経済であると考える。国家を代表するかの観を装う文芸委員なるものは、その性質上直接社会に向って、以上のような大勢力を振舞かねる団体だからである。
もし文芸院がより多く卑近《ひきん》なる目的を以て、文芸の産出家に対して、個々別々の便宜を、その作物《さくぶつ》上の評価に応じて、零細《れいさい》にかつ随時に与えようとするならば、余はその効果の比較的少きに反して、その弊害の思ったよりも大いなる事を断言するに憚《はばか》らぬものである。
我々は自《みずか》ら相応に鑑賞力のある文士と自任して、常住《じょうじゅう》他の作物に対して、自己の
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