。それならば労働者の方が文学者より偉い。最も危険に近いものが高尚な職業であると云う標準を立てるならば、軍人とか、探険家とか云うものが、一番偉くなる訳だ。或《あるい》は、最も多い報酬を得る者が一番好い職業だと云う標準も立つ。然《そ》うすれば実業家が一番偉い職業になって了《しま》う。或は金以外評判と云うものが得られるのが一番好い職業だとも言われる。すれば芸人とか芸者とか、相撲取《すもうと》りとか云うものが一番好い職業である。其他其通りのことを列挙すれば幾らでも出て来る。際限の無い話である。従って文学は男子一生の事業とするに足るとか足らないとか云う問題も、要するに標準の立て方で、古今未曾有《ここんみぞう》、無類飛び切り上等の職業ともなるし、天下最下等の愚劣な馬鹿気た職業となるかも知れない。だから標準の取り方で以て何《ど》うにでもなる。では貴方《あなた》の標準は何所《どこ》にあるかと、言われると大体の標準は定《き》まって居るにした所で、時と場合に依って其標準が変り得る。例えば大晦日《おおみそか》が来て金が一文も無く、最も痛切に金の入用を感ずる場合に、金の収入の少い文学者を職業として居れば、文学者ほど愚劣な職業はないと思うかも知れない。或は、私が身体《からだ》の健康を害して、坐《すわ》って居っては何《ど》うしても健全になれない。そして私が非常に健康と云うことに重きを置く場合に遭遇する。然《そ》うすると何うしても坐って居らなければならぬ文学者と云う者ほど、詰らない稼業はなくなって了《しま》う。で、然う云う風に標準は始終《しじゅう》変って居るが、それでは、もっと大きな大体の標準を何所《どこ》に置くかと云うことを話すことになると、前にも云ったように、文学の定義を定めてかからねばならず、文学とライフとの交渉を研究し、ライフの意味や価値を定めた上で、他の複雑した事業と比較して話さねばならぬ。それでは中々難かしくなって来るから、其所《そこ》の所は言い得ない。結論だけを言うならば、それは極《ご》く簡単で、只《ただ》、吾々が生涯《しょうがい》従事し得る立派な職業であると私は考えて居るのだ。
 何だか逃げ腰のような、ふわふわした答弁で、中までずんと突き入ってないので、何となく物足らない感じがあるかも知れない。それは中へ入って急所を突いた答えも、すれば出来ないではないが、それでは却《かえ》って局部局部を挙《あ》げて論ずることになって不本意であるから、斯《こ》う云う全体を掩《おお》うたような答えをして置く。
 で、今迄言ったような訳だから、文学は男子一生の事業とするに足らぬとか云う人が出て来ても、些《ち》っとも驚くことはない。又、文学は無類|飛切《とびきり》の好い職業で、人生にとって之《こ》れ程意味あり、価値ある職業はないと云う人があっても、又決して喜ぶには当らない。文学に大きな価値があるとか無いとか、深い意味があるとか無いとか、両方で争って見た所で、それは要するに水掛け議論たるに過ぎない。本当に意味あり根柢《こんてい》のある論争ではない。各々の標準の立て方で、どちらも異った根拠に依っての議論であるから、何時《いつ》果《は》てる時はない。一見矛盾の如くにして、実は矛盾ではないのだ。例えば一方は箸《はし》の先端を見て箸は細いと云い、一方は箸の真中を見て箸は太いと云って居るのと同じことで、矛盾のようで実は矛盾でない。どちらにも根拠はある。先《ま》ずそれを争う前に、二人共箸の真中を見て、太い細いを論ずるのが本当の議論である。
 今日の文学の価値に関しての議論が、其辺の微細な点まで極められた上での議論であるかどうか、或は、まだ可い加減に価値があるとかないとか云って居て、両方とも矛盾して居ないような気で、箸の真中と尖端の辺《あた》りを彷徨《ほうこう》して居るのか、それは些《ち》っと考えて見ねばならぬ問題である。恐らく後者であろう。



底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房 
   1972(昭和47)年1月10日第1刷発行
初出:「新潮」
   1908(明治41)年11月1日号
※底本は、「談話」の項におさめた本作品の表題に、かぎ括弧を付けて示している。
入力:Nana ohbe
校正:米田進
2002年5月10日作成
2003年5月25日修正
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