ては重宝でしょう。重宝だから、警視庁でもたくさん使って、月給を出して飼っておきます。しかし彼らの職業はもともと器械の代りをするのだから、本人共もそのつもりで、職業をしている内は人間の資格はないものと断念してやらなくては、普通の人間に対して不敬であります。現代の文学者をもって探偵に比するのははなはだ失礼でありますが、ただ真の一字を標榜《ひょうぼう》して、その他の理想はどうなっても構わないと云う意味な作物を公然発表して得意になるならば、その作家は個人としては、いざ知らず、作家として陥欠《かんけつ》のある人間でなければなりません。病的と云わなければなりません。(四種の理想は同等の権利を有して相冒《あいおか》すべきものでないと、先に述べておきました。四種を同等に満足せしむる事は困難かも知れません。多少は冒す場合があるでしょう。その場合には冒されたものが、屏息《へいそく》し得るように、冒す方に偉大な特色がなければならぬのであります。この点においては、先に例証したオセロが一番弁護しやすいように思われます。ゾラとモーパッサンの例に至ってはほとんど探偵と同様に下品な気持がします)
 文芸に四種の理想があるのは毎度|繰返《くりかえ》した通りでありまして、その四種がまたいろいろに分化して行く事も前に述べたごとくであります。この四種の理想は文芸家の理想ではあるが、ある意味から云うと一般人間の理想でありますからして、この四面に渉《わた》ってもっとも高き理想を有している文芸家は同時に人間としてももっとも高くかつもっとも広き理想を有した人であります。人間としてもっとも広くかつ高き理想を有した人で始めて他を感化する事ができるのでありますから、文芸は単なる技術ではありません。人格のない作家の作物は、卑近なる理想、もしくは、理想なき内容を与うるのみだからして、感化力を及ぼす力もきわめて薄弱であります。偉大なる人格を発揮するためにある技術を使ってこれを他の頭上に浴せかけた時、始めて文芸の功果は炳焉《へいえん》として末代までも輝き渡るのであります。輝き渡るとは何も作家の名前が伝わるとか、世間からわいわい騒がれると云う意味で云うのではありません。作家の偉大なる人格が、読者、観者もしくは聴者の心に浸み渡って、その血となり肉となって彼らの子々孫々まで伝わると云う意味であります。文芸に従事するものはこの意味で後世に伝わらなくては、伝わる甲斐《かい》がないのであります。人名辞書に二行や三行かかれる事は伝わるのではない。自分が伝わるのではない。活版だけが伝わるのであります。自己が真の意味において一代に伝わり、後世に伝わって、始めて我々が文芸に従事する事の閑事業でない事を自覚するのであります。始めて自己が一個人でない、社会全体の精神の一部分であると云う事実を意識するのであります。始めて文芸が世道人心に至大の関係があるのを悟るのであります。我々は生慾の念から出立して、分化の理想を今日《こんにち》まで持続したのでありますから、この理想をある手段によって実現するものは、我々生存の目的を、一層高くかつ大いにした功蹟《こうせき》のあるものであります。もっとも偉大なる理想をもっともよく実現するものは我々生存の目的をもっともよく助長する功蹟のあるものであります。文芸の士はこの意味においてけっして閑人《かんじん》ではありません。芭蕉《ばしょう》のごとく消極的な俳句を造るものでも李白のような放縦な詩を詠ずるものでもけっして閑人ではありません。普通の大臣豪族よりも、有意義な生活を送って、皆それぞれに人生の大目的に貢献しております。
 理想とは何でもない。いかにして生存するがもっともよきかの問題に対して与えたる答案に過ぎんのであります。画家の画、文士の文、は皆この答案であります。文芸家は世間からこの問題を呈出されるからして、いろいろの方便によって各自が解釈した答案を呈出者に与えてやるに過ぎんのであります。答案が有力であるためには明暸《めいりょう》でなければならん、せっかくの名答も不明暸であるならば、相互の意志が疏通せぬような不都合に陥ります。いわゆる技巧と称するものは、この答案を明暸にするために文芸の士が利用する道具であります。道具は固《もと》より本体ではない。
 そこで諸君はわかったと云われるかも知れぬ。またはわからぬと云われるかも知れぬ。分った方《かた》はそれでよろしいが、分らぬ方には少々説明をしなければなりません。ただいま技巧は道具だと申しました。そう一概に云うと明暸《めいりょう》なようであるが退《しりぞ》いて考えるとなかなかわかりにくい。技巧とは何だと聴かれた時に、たいてい困ります。普通は思想をあらわす、手段だと云いますが、その手段によって発表される思想だからして、思想を離れて、手段だけを考
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