がないからやめます。
 文芸家の理想をようやくこの四種に分けました。この分類は私が文学論のなかに分けておいたものとは少々違いますが、これは出立地が違うのだから仕方がありません。もっともこの分け方の方が、明暸《めいりょう》で適切のように思われますから、双方違っていてもけっして諸君の御損にはなりません。さて前にも申す通り、知、情、意なる我々の精神的作用は区別のできるにもかかわらず、区別されたまま、他と関係なく発現するものでない、のみならず文芸にあっては皆感覚物を通じてその作用を現すのであるからして、この四種の理想に対する情操も、互に混合錯雑して、事実上はかように明暸に区劃《くかく》を受けて、作物中に出てくるものではありません。それにもかかわらず理想は四種あるので、四種以下にはならんのであります。しかも或る格段なる作物を取って検して見ると、四種のうちのいずれかがもっとも著しく眼につきます。したがってこの作はどの理想に属するものだと云う事はある程度まで云えます。そうしてこの四種の理想が、時代により、個人により、その勢力の消長遷移に影響を受けつつあるは疑うべからざる事実であります。ある時代には、美の要求を満足しなければ文芸上の作品でないとまで見做《みな》される事もありましょう。また次の時代には理想が推移して美はとにかく真は是非共あらわさなくては文芸の二字を冠らする資格がないと評します。またある人はどこかで道義心に満足を与えない作物は、作りたくない読みたくないと断言します。また他の人は意思の発現に伴う荘厳の情緒を得なければ、文芸上のあるものを味うた気がしないとまで主張するかも知れない。これらの時代もこれらの人々もことごとく正しいのであります。また四種のいずれでも構わないと云う人があれば、その人の趣味はもっとも広い人でまたもっとも正しい人と判断してもよかろうと思います。この四種のいずれがいかなる時勢に流行し、いずれがいかなる人にもっとも歓迎さるるかは大分興味ある問題でありますが、これも時間がないから抜きに致します。ただちょっと御断りをしておきたいのは、この四種は名前の示すごとく四種であって互にそれ相当の主張を有して、文芸の理想となっているものでありますから、甲をもって乙に隷属《れいぞく》すべき理由はどうしても発見できんのであります。この四つのうちに、重要の度からして差等の点数をつけて見ろと云われた時に、何人《なんびと》もこれをあえてする事はできないはずと思います。もしあるとすれば答案を調べずに点数をつける乱暴な教員と同じもので、言語道断の不心得であります。ただ吾は時勢の影響を受けているから、しかじかの理想に属するものを好むと云うならばそれでよろしい。吾は個性としてかくかくの理想の下に包含せらるべきものを択《えら》むと云うならば、それで勘弁してもよい。好悪《こうお》は理窟《りくつ》にはならんのだから、いやとか好きとか云うならそれまでであるが、根拠のない好悪を発表するのを恥じて、理窟もつかぬところに、いたずらな理窟をつけて、弁解するのは、消化がわるいから僕は蛸《たこ》が嫌《きらい》だというような口上で、もし好物であったなら、いかほど不消化でも、だまって、足は八本共に平げるほどな覚悟だろうと思います。
 この故にこれら四種の理想は、互に平等な権利を有して、相冒《あいおか》すべからざる標準であります。だから美の標準のみを固執《こしゅう》して真の理想を評隲《ひょうちょく》するのは疝気筋《せんきすじ》の飛車取り王手のようなものであります。朝起を標準として人の食慾を批判するようなものでしょう。御前は朝寝坊だ、朝寝坊だからむやみに食うのだと判断されては誰も心服するものはない。枡《ます》を持ち出して、反物の尺を取ってやるから、さあ持って来いと号令を下したって誰も号令に応ずるものはありません。寒暖計を眺めて、どうもあの山の高さはよほどあるよと云う連中は、寒暖計を験温器の代りにして逆上の程度でも計ったらよかろうと思う。もっともここに見当違《けんとうちが》いの批評と云うのは、美をあらわした作物を見て、ここには真がないと否定する意味ではない。真がないから駄目だ作物にならん[#「駄目だ作物にならん」に傍点]と云う批評を云うのである。真はないかも知れぬ、なければないでよい。無いものを有ると云うて貰いたいとは誰も云わないでしょう。しかし現にある美だけは見てやらなくっては、せっかく作った作物の生命がなくなる訳であります。頭は薬缶《やかん》だが鬚《ひげ》だけは白いと云えば公平であるが、薬缶じゃ御話しにならんよと、一言で退《しりぞ》けられたなら、鬚こそいい災難である。運慶の仁王は意志の発動をあらわしている。しかしその体格は解剖には叶《かな》っておらんだろうと思います。あれを評し
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