分類かも知れぬが、三つの作用が各独立して、他と交渉なく働いているものではありません。心の作用はどんなに立入って細かい点に至っても、これを全体として見るとやはり知情意の三つを含んでいる場合が多い。だからこの三作用を截然《せつぜん》と区別するのは全く便宜上《べんぎじょう》の抽象である。この抽象法を用いないで、しかも極度の分化作用による微細なる心の働き(全体として)を写して人に示すのはおもに文学者がやっている。だから文学者の仕事もこの分化発展につれてだんだんと、朦朧《もうろう》たるものを明暸に意識し、意識したるものを仔細《しさい》に区別して行きます。例えば昔の竹取物語とか、太平記とかを見ると、いろいろな人間が出て来るがみんな同じ人間のようであります。西鶴などに至ってもやはりそうであります。つまりああいう著者には人間がたいてい同様にぼうっと見えたのでありましょう。分化作用の発展した今日になると人間観がそう鷹揚《おうよう》ではいけない。彼らの精神作用について微妙な細《こまか》い割り方をして、しかもその割った部分を明細に描写する手際《てぎわ》がなければ時勢に釣り合わない。これだけの眼識のないものが人間を写そうと企てるのは、あたかも色盲が絵をかこうと発心するようなものでとうてい成功はしないのであります。画を専門になさる、あなた方《がた》の方から云うと、同じ白色を出すのに白紙の白さと、食卓布の白さを区別するくらいな視覚力がないと視覚の発達した今日において充分理想通りの色を表現する事ができないと同様の意義で、――文学者の方でも同性質、同傾向、同境遇、同年輩の男でも、その間に微妙な区別を認め得るくらいな眼光がないと、人を視る力の発達した今日においては、性格を描写したとは申されないのであります。したがって人間をかく文学者は、単に文学者ではならん、要するに人間を識別する能力が発達した人でなくてはならんのです。進んだる世の中に、もっとも進んだる眼識を具《そな》えた男――特に文学者としてではない、一般人間としてこの方面に立派な腕前のある男――でなければ手は出せぬはずであります。世の中はそう思っておりません。何《なん》の小説家がと、小説家をもってあたかも指物師《さしものし》とか経師屋《きょうじや》のごとく単に筆を舐《ねぶ》って衣食する人のように考えている。小説家よりも大学の先生の方が遥《はるか》にえらいと考えている。内務省の地方局長の方がなお遥にえらいと思っている。大臣や金持や華族様はなおなお遥にえらいと思っている。妙な事であります。もし我々が小説家から、人間と云うものは、こんなものであると云う新事実を教えられたならば、我々は我々の分化作用の径路において、この小説家のために一歩の発展を促《うなが》されて、開化の進路にあたる一叢《ひとむら》の荊棘《いばら》を切り開いて貰ったと云わねばならんだろうと思います。(小説家の功力《くりき》はこの一点に限ると云う意味ではない。この一点を挙《あ》げて考えても局長さんや博士さんに劣るものでないと云うのであります)もし諸君がそんな小説家は現今日本に一人もないではないかと云われるならば、私はこう答える。それは小説家の罪ではない。現今日本の小説家(私もその一人と御認めになってよろしい)の罪である。局長にでも[#「でも」に傍点]があるごとく、博士にでも[#「でも」に傍点]があるごとく、小説家にでも[#「でも」に傍点]があるのも御互様と申さねばならぬのであります。――また泥溝《どぶ》の中へ落ちました。
実はまだ文学の御話をするほどに講演の歩を進めておらんのであります。分化作用を述べる際につい口が滑《すべ》って文学者ことに小説家の眼識に論及してしまったのであります。だからこれをもって彼らの使命の全般をつくしたとは申されない。前にも云う通りついでだから分化作用に即《そく》して彼らの使命の一端を挙《あ》げたのに過ぎんのである。したがって文学全体に渉《わた》っての御話をするときには今少し概括的《がいかつてき》に出て来なければならぬ訳です。これから追々そこまで漕ぎつけて行きます。
かく分化作用で、吾々は物と我とを分ち、物を分って自然と人間(物として観たる人間)と超感覚的な神(我を離れて神の存在を認める場合に云うのであります)とし、我を分って知、情、意の三とします。この我[#「我」に白丸傍点]なる三作用と我以外の物[#「物」に白丸傍点]とを結びつけると、明かに三の場合が成立します。すなわち物に向って知を働かす人と、物に向って情を働かす人と、それから物に向って意を働かす人であります。無論この三作用は元来独立しておらんのだから、ここで知を働かし、情を働かし、意を働かすと云うのは重[#「重」に白丸傍点]に働かすと云う意味で、全然他の作用を除却して
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