くるまでにはよほど多量の貝を平げました。その場はそれで済みまして、いよいよ細君を連れて宅へ帰って見ますと、貝の利目《ききめ》はたちまちあらわれて、細君はその月から懐妊して、玉のような男子か女子か知りませんが生み落して老人は大満足を表すると云うのが大団円であります。ゾラ君は何を考えてこの著作を公けにされたものか存じませんが、私の考では前に挙《あ》げたモーパッサン氏よりもある方面に向って一歩進んだ理想がなくってはとうてい書きこなせない作物だと思います。よく下民の聚合《しゅうごう》する寄席《よせ》などへ参ると、時々妙な所で喝采《かっさい》する事があります。普通の人が眉《まゆ》を顰《ひそ》める所に限って喝采するから妙であります。ゾラ君なども日本へ来て寄席へでも出られたら、定めし大入を取られる事であろうと存じます。
 現代文学は皆この弊に陥《おちい》っているとは無論断言しませんが、いろいろな点においてこの傾向を帯びていることは疑いもないと思います。そうしてこの傾向は真の一字を偏重視《へんちょうし》するからして起った多少病的の現象だと云うてもよいだろうと思います。諸君は探偵と云うものを見て、歯《よわい》するに足る人間とは思わんでしょう。探偵だって家《うち》へ帰れば妻もあり、子もあり、隣近所の付合は人並にしている。まるで道徳的観念に欠乏した動物ではない。たまには夜店で掛物をひやかしたり、盆栽の一鉢《ひとはち》くらい眺める風流心はあるかも知れない。しかしながら探偵が探偵として職務にかかったら、ただ事実をあげると云うよりほかに彼らの眼中には何もない。真を発揮すると云うともったいない言葉でありますが、まず彼らの職業の本分を云うと、もっとも下劣な意味において真を探ると申しても差支《さしつかえ》ないでしょう。それで彼らの職務にかかった有様を見ると一人前の人間じゃありません。道徳もなければ美感もない。荘厳の理想などは固《もと》よりない。いかなる、うつくしいものを見ても、いかなる善に対しても、またいかなる崇高な場合に際してもいっこう感ずる事ができない。できれば探偵なんかする気になれるものではありません。探偵ができるのは人間の理想の四分の三が全く欠亡して、残る四分の一のもっとも低度なものがむやみに働くからであります。かかる人間は人間としては無論通用しない。人間でない器械としてなら、ある場合にあっ
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