《うそ》である。その嘘である理由は今までやって来た分解で御合点《ごがてん》が行ったはずであります。もっとも社会と云うものはいつでも一元では満足しない。物は極《きわ》まれば通ずとかいう諺《ことわざ》の通り、浪漫主義の道徳が行きづまれば自然主義の道徳がだんだん頭を擡《もた》げ、また自然主義の道徳の弊が顕著になって人心がようやく厭気《いやけ》に襲《おそ》われるとまた浪漫主義の道徳が反動として起るのは当然の理であります。歴史は過去を繰返《くりかえ》すと云うのはここの事にほかならんのですが、厳密な意味でいうと、学理的に考えてもまた実際に徴してみても、一遍過ぎ去ったものはけっして繰返されないのです。繰返されるように見えるのは素人《しろうと》だからである。だから今もし小波瀾《しょうはらん》としてこの自然主義の道徳に反抗して起るものがあるならば、それは浪漫派に違いないが、維新前の浪漫派が再び勃興《ぼっこう》する事はとうてい困難である、また駄目である。同じ浪漫派にしても我々現在生活の陥欠を補う新らしい意義を帯びた一種の浪漫的道徳でなければなりません。
 道徳における向後の大勢及び局部の波瀾として目前に起
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