一人としてはいつも不安の眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って他を眺めなければならなくなる、或る時は恐ろしくなる。その結果一部的の反動としては、浪漫的の道徳がこれから起らなければならないのであります。現に今小さい波動として、それが起りつつあるかも知れません。けれども要するに小波瀾《しょうはらん》の曲折を描《えが》く一部分に過ぎないので大体の傾向から云えばどうしても自然主義の道徳がまだまだ展開して行くように思われます。以上を総括して今後の日本人にはどう云う資格が最も望ましいかと判じてみると、実現のできる程度の理想を懐《いだ》いて、ここに未来の隣人同胞との調和を求め、また従来の弱点を寛容する同情心を持して現在の個人に対する接触面の融合剤とするような心掛――これが大切だろうと思われるのです。
 今日の有様では道徳と文芸と云うものは、大変離れているように考えている人が多数で、道徳を論ずるものは文芸を談ずるを屑《いさぎよ》しとせず、また文芸に従事するものは道徳以外の別天地に起臥《きが》しているように独《ひと》りぎめで悟《さと》っているごとく見受けますが、蓋《けだ》し両方とも嘘
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