しても差支《さしつかえ》ない時代になっている。それやこれやの影響から吾々《われわれ》は日に月に個人主義の立場からして世の中を見渡すようになっている。したがって吾々の道徳も自然個人を本位として組み立てられるようになっている。すなわち自我からして道徳律を割り出そうと試みるようになっている。これが現代日本の大勢だとすればロマンチックの道徳換言すれば我が利益のすべてを犠牲に供して他のために行動せねば不徳義であると主張するようなアルトルイスチック一方の見解はどうしても空疎になってこなければならない。昔の道徳すなわち忠とか孝とか貞とかい字を吟味《ぎんみ》してみると、当時の社会制度にあって絶対の権利を有しておった片方にのみ非常に都合の好いような義務の負担に過ぎないのであります。親の勢が非常に強いとどうしても孝を強《し》いられる。強いられるとは常人として無理をせずに自己本来の情愛だけでは堪《た》えられない過重の分量を要求されるという意味であります。独《ひと》り孝ばかりではない、忠でも貞でもまた同様の観があります。何しろ人間一生のうちで数えるほどしかない僅少《きんしょう》の場合に道義の情火がパッと燃焼し
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