文芸と道徳」というのですから特にこの点に注意を払う必要があったのです。
 これで浪漫主義の文学と自然主義の文学とが等しく道徳に関係があって、そうしてこの二種の文学が、冒頭に述べた明治以前の道徳と明治以後の道徳とをちゃんと反射している事が明暸《めいりょう》になりましたから、我々はこの二つの舶来語を文学から切り離して、直に道徳の形容詞として用い、浪漫的道徳及び自然主義的道徳という言葉を使って差支《さしつかえ》ないでしょう。
 そこで私は明治以前の道徳をロマンチックの道徳と呼び明治以後の道徳をナチュラリスチックの道徳と名づけますが、さて吾々《われわれ》が眼前にこの二大区別を控えて向後|我邦《わがくに》の道徳はどんな傾向を帯びて発展するだろうかの問題に移るならば私は下《しも》のごとくあえて云いたい。「ロマンチックの道徳は大体において過ぎ去ったものである」あなた方《がた》がなぜかと詰問なさるならば人間の智識がそれだけ進んだからとただ一言答えるだけである。人間の智識がそれだけ進んだ。進んだに違ない。元は真《まこと》しやかに見えたものが、今はどう考えても真とは見えない。嘘《うそ》としか思われないから
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