紛紜《ふんうん》でも過失でも局外から評する場合には大変|苛《から》い。すなわちおれが彼の地位にいたらこんな失体は演じまいと云う己を高く見積る浪漫的な考がどこかに潜《ひそ》んでいるのであります。さて自分がその局に当ってやって見ると、かえって自分の見縊《みくび》った先任者よりも烈《はげ》しい過失を犯しかねないのだから、その時その場合に臨むと本来の弱点だらけの自己が遠慮なく露出されて、自然主義でどこまでも押して行かなければやりきれないのであります。だから私は実行者は自然派で批評家は浪漫派だと申したいぐらいに考えています。次に御話したいのは先年来自然主義をある一部の人が唱《とな》え出して以後世間一般ではひどくこれを嫌《きら》ってはては自然主義といえば堕落とか猥褻《わいせつ》とかいうものの代名詞のようになってしまいました。しかし何もそう恐れたり嫌ったりする必要は毫《ごう》もないので、その結果の健全な方も少しは見なければなりません。元来自分と同じような弱点が作物の中に書いてあって、己と同じような人物がそこに現われているとすれば、その弱点を有する人間に対する同情の念は自然起るべきはずであります。また
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