う問題についてただの一日も頭を使った事がない。出た時の成績はむしろ好い方であった。席次を目安《めやす》に人を採《と》る今の習慣を利用しようと思えば、随分友達を羨《うらや》ましがらせる位置に坐り込む機会もないではなかった。現に一度はある方面から人選《にんせん》の依託《いたく》を受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえ有《も》っている。それだのに僕は動かなかった。固《もと》より自慢でこう云う話をするのではない。真底を打ち明ければむしろ自慢の反対で、全く信念の欠乏から来た引込《ひっこ》み思案《じあん》なのだから不愉快である。が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持て囃《はや》されたところで、どこがどうしたんだという横着は、無論断わる時からつけ纏《まと》っていた。僕は時めくために生れた男ではないと思う。法律などを修《おさ》めないで、植物学か天文学でもやったらまだ性《しょう》に合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。僕は世間に対してははなはだ気の弱い癖に、自分に対しては大変辛抱の好い男だからそう思うのである。
こういう僕のわがままをわがままなりに通してくれるものは、云うまでもなく父が遺《のこ》して行ったわずかばかりの財産である。もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思をしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦かわなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改ためて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分のわがままはこの財産のためにやっと存在を許されているのだからよほど腰の坐《すわ》らないあさはかなものに違ないと推断する。そうしてその犠牲にされている母が一層気の毒になる。
母は昔堅気《むかしかたぎ》の教育を受けた婦人の常として、家名を揚げるのが子たるものの第一の務《つとめ》だというような考えを、何より先に抱《いだ》いている。しかし彼女の家名を揚《あ》げるというのは、名誉の意味か、財産の意味か、権力の意味か、または徳望の意味か、そこへ行くと全く何の分別もない。ただ漠然《ばくぜん》と、一つが頭の上に落ちて来れば、すべてその他が後《あと》を追って門前に輻湊《ふくそう》するぐらいに思っている。しかし僕はそういう問題について、何事も母に説明してやる勇気がない。説明して聞かせるには、まず僕の見識でもっともと認めた家名の揚げ方をした上でないと、僕にその資格ができないからである。僕はいかなる意味においても家名を揚げ得る男ではない。ただ汚《けが》さないだけの見識を頭に入れておくばかりである。そうしてその見識は母に見せて喜こんで貰《もら》えるどころか、彼女とはまるでかけ離れた縁のないものなのだから、母も心細いだろう。僕も淋しい。
僕が母にかける心配の数あるうちで、第一に挙げなければならないのは、今話した通りの僕の欠点である。しかしこの欠点を矯《た》めずに母と不足なく暮らして行かれるほど、母は僕を愛していてくれるのだから、ただすまないと思う心を失なわずに、このままで押せば押せない事もないが、このわがままよりももっと鋭どい失望を母に与えそうなので、僕が私《ひそ》かに胸を痛めているのは結婚問題である。結婚問題と云うより僕と千代子を取り巻く周囲の事情と云った方が適当かも知れない。それを説明するには話の順序としてまず千代子の生れない当時に溯《さかの》ぼる必要がある。その頃の田口はけっして今ほどの幅利《はばきき》でも資産家でもなかった。ただ将来見込のある男だからと云うので、父が母の妹《いもと》に当るあの叔母を嫁にやるように周旋したのである。田口は固《もと》より僕の父を先輩として仰いでいた。なにかにつけて相談もしたり、世話にもなった。両家の間に新らしく成立したこの親しい関係が、月と共に加速度をもって円満に進行しつつある際に千代子が生れた。その時僕の母はどう思ったものか、大きくなったらこの子を市蔵の嫁にくれまいかと田口夫婦に頼んだのだそうである。母の語るところによると、彼らはその折《おり》快よく母の頼みを承諾したのだと云う。固より後から百代が生まれる、吾一《ごいち》という男の子もできる、千代子もやろうとすればどこへでもやられるのだが、きっと僕にやらなければならないほど確かに母に受合ったかどうか、そこは僕も知らない。
六
とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういう絆《きずな》があった。けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。二人は固《もと》より天に上《あが》る雲雀《ひばり》のごとく自由に生長した。絆を綯《な》った人でさえ確《しか》とその端《はし》を握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。
母は僕の高等学校に這入《はい》った時分それとなく千代子の事を仄《ほの》めかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来の妻《さい》という観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩《けんか》をしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟《しげき》を与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠《しょうこ》には長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、怒《おこ》ろうが泣こうが、科《しな》をしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄《いとこ》に過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気象《きしょう》を受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女《なんにょ》の牆壁《しょうへき》が取り除《の》けられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方が宜《よ》かろうと思う。
母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞恥家《はにかみや》と解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題を懐《ふところ》に収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞恥《はにか》んだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようと力《つと》めた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。
その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代に匂《にお》わした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐に抱《だ》いたまま一人で温《あたた》めていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたという噂《うわさ》のあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大人《おとな》らしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭寧《ていねい》に吟味《ぎんみ》する余裕《よゆう》ができていた。母もその時にはただ遠くから匂わせるだけでなくて、自分の希望に正当の形式を与える事を忘れなかった。僕は何心なく従妹《いとこ》は血属だから厭《いや》だと答えた。母は千代子の生れた時くれろと頼んでおいたのだから貰ったらいいだろうと云って僕を驚ろかした。なぜそんな事を頼んだのかと聞くと、なぜでも私《わたし》の好きな子で、御前も嫌《きら》うはずがないからだと、赤ん坊には応用の利《き》かないような挨拶《あいさつ》をして僕を弱らせた。だんだんそこを押して見ると、しまいに涙ぐんで、実は御前のためではない、全く私のために頼むのだと云う。しかもどうしてそれが母のためになるのか、その理由はいくら聞いても語らない。最後に何でもかでも千代子は厭《いや》かと聞かれた。僕は厭でも何でもないと答えた。しかし当人も僕のところへ来る気はなし、田口の叔父も叔母も僕にくれたくはないのだから、そんな事を申し込むのは止した方が好い、先方で迷惑するだけだからと教えた。母は約束だから迷惑しても構わない、また迷惑するはずがないと主張して、昔《むか》し田口が父の世話になったり厄介《やっかい》になったりした例を数え挙げた。僕はやむを得ないからこの問題は卒業するまで解決を着けずにおこうと云い出した。母は不安の裏《うち》に一縷《いちる》の望を現わした顔色をして、もう一遍とくと考えて見てくれと頼んだ。
こういう事情で、今まで母一人で懐《ふところ》に抱《だ》いていた問題を、その後《のち》は僕も抱かなければならなくなった。田口はまた田口流に、同じ問題を孵《かえ》しつつあるのではなかろうか。たとい千代子をほかへ縁づけるにしても、いざと云う場合には一応こちらの承諾を得る必要があるとすれば、叔父も気がかりに違いない。
七
僕は不安になった。母の顔を見るたびに、彼女を欺《あざ》むいてその日その日を姑息《こそく》に送っているような気がしてすまなかった。一頃《ひところ》は思い直してでき得るならば母の希望通り千代子を貰《もら》ってやりたいとも考えた。僕はそのためにわざわざ用もない田口の家へ遊びに行ってそれとなく叔父や叔母の様子を見た。彼らは僕の母の肉薄に応ずる準備としてまえもって僕を疎《うと》んずるような素振《そぶり》を口にも挙動にもけっして示さなかった。彼らはそれほど浅薄なまた不親切な人間ではなかったのである。けれども彼らの娘の未来の夫として、僕が彼らの眼にいかに憐《あわ》れむべく映じていたかは、遠き前から僕の見抜いていたところと、ちっとも変化を来さないばかりか、近頃になってますますその傾《かたむき》が著るしくなるように思われた。彼らは第一に僕の弱々しい体格と僕の蒼白《あおしろ》い顔色とを婿《むこ》として肯《うけ》がわないつもりらしかった。もっとも僕は神経の鋭どく動く性質《たち》だから、物を誇大に考え過したり、要《い》らぬ僻《ひが》みを起して見たりする弊がよくあるので、自分の胸に収めた委《くわ》しい叔父叔母の観察を遠慮なくここに述べる非礼は憚《はば》かりたい。ただ一言《いちごん》で云うと、彼らはその当時千代子を僕の嫁にしようと明言したのだろう。少なくともやってもいいぐらいには考えていたのだろう。が、その後《ご》彼らの社会に占め得た地位と、彼らとは背中合せに進んで行く僕の性格が、二重に実行の便宜を奪って、ただ惚《ぼ》けかかった空《むな》しい義理の抜殻《ぬけがら》を、彼らの頭のどこかに置き去りにして行ったと思えば差支《さしつかえ》ないのである。
僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。
「市《いっ》さんももうそろそろ奥さんを探さなくっちゃなりませんね。姉さんはとうから心配しているようですよ」
「好いのがあったら母に知らしてやって下さい」
「市さんにはおとなしくって優《やさ》しい、親切な看護婦みたような女がいいでしょう」
「看護婦みたような嫁はないかって探しても、誰も来手《きて》はあるまいな」
僕が苦笑しながら、自《みずか》ら嘲《あざ》けるごとくこう云った時、今まで向うの隅《すみ》で何かしていた千代子が、不意に首を上げた。
「あたし行って上げましょうか」
僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね」と云った。僕は低い叔母の声のうちに、窘《たし》なめるようなまた怖《おそ》れるような一種の響を聞いた。千代子はただからからと面白そうに笑っただけであった。その時百代子も傍《そば》にいた。これは姉の言葉を聞いて微笑し
前へ
次へ
全47ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング