を、薄気味悪く左右に見て裏へ抜けると、広い空地《あきち》の隅《すみ》に松薪《まつまき》が山のように積んであった。周囲《まわり》には綺麗《きれい》な孟宗藪《もうそうやぶ》が蒼々《あおあお》と茂っていた。その下が麦畠《むぎばたけ》で、麦畠の向うがまた岡続きに高く蜿蜒《うねうね》しているので、北側の眺《なが》めはことに晴々《はればれ》しかった。須永《すなが》はこの空地の端《はし》に立って広い眼界をぼんやり見渡していた。
「市《いっ》さん、もう用意ができたんですって」
 須永は千代子の声を聞いて黙ったまま帰って来たが、「あの竹藪《たけやぶ》は大変みごとだね。何だか死人《しびと》の膏《あぶら》が肥料《こやし》になって、ああ生々《いきいき》延びるような気がするじゃないか。ここにできる筍《たけのこ》はきっと旨《うま》いよ」と云った。千代子は「おお厭《いや》だ」と云《い》い放《ぱなし》にして、さっさとまた並等《なみとう》を通り抜けた。宵子《よいこ》の竈《かま》は上等の一号というので、扉の上に紫の幕が張ってあった。その前に昨日《きのう》の花環が少し凋《しぼ》みかけて、台の上に静かに横たわっていた。それが昨夜《ゆうべ》宵子の肉を焼いた熱気《ねっき》の記念《かたみ》のように思われるので、千代子は急に息苦しくなった。御坊《おんぼう》が三人出て来た。そのうちの一番年を取ったのが「御封印を……」と云うので、須永は「よし、構わないから開けてくれ」と頼んだ。畏《かしこ》まった御坊は自分の手で封印を切って、かちゃりと響く音をさせながら錠《じょう》を抜いた。黒い鉄の扉が左右へ開《あ》くと、薄暗い奥の方に、灰色の丸いものだの、黒いものだの、白いものだのが、形を成さない一塊《ひとかたまり》となって朧気《おぼろげ》に見えた。御坊は「今出しましょう」と断って、レールを二本前の方に継《つ》ぎ足しておいて、鉄の環《かん》に似たものを二つ棺台の端《はし》にかけたかと思うと、いきなりがらがらという音と共に、かの形を成さない一塊の焼残《やけのこり》が四人の立っている鼻の下へ出て来た。千代子はそのなかで、例の御供《おそなえ》に似てふっくらと膨《ふく》らんだ宵子の頭蓋骨《ずがいこつ》が、生きていた時そのままの姿で残っているのを認めて急に手帛《ハンケチ》を口に銜《くわ》えた。御坊はこの頭蓋骨と頬骨と外に二つ三つの大きな骨を残して、「あとは綺麗《きれい》に篩《ふる》って持って参りましょう」と云った。
 四人《よつたり》は各自《めいめい》木箸《きばし》と竹箸を一本ずつ持って、台の上の白骨《はっこつ》を思い思いに拾っては、白い壺《つぼ》の中へ入れた。そうして誘い合せたように泣いた。ただ須永だけは蒼白《あおしろ》い顔をして口も利《き》かず鼻も鳴らさなかった。「歯は別になさいますか」と聞きながら、御坊が小器用に歯を拾い分けてくれた時、顎《あご》をくしゃくしゃと潰《つぶ》してその中から二三枚|択《よ》り出したのを見た須永は、「こうなるとまるで人間のような気がしないな。砂の中から小石を拾い出すと同じ事だ」と独言《ひとりごと》のように云った。下女が三和土《たたき》の上にぽたぽたと涙を落した。御仙《おせん》と千代子は箸《はし》を置いて手帛《ハンケチ》を顔へ当てた。
 車に乗るとき千代子は杉の箱に入れた白い壺を抱《だ》いてそれを膝《ひざ》の上に載《の》せた。車が馳《か》け出すと冷たい風が膝掛と杉箱の間から吹き込んだ。高い欅《けやき》が白茶《しらちゃ》けた幹を路の左右に並べて、彼らを送り迎えるごとくに細い枝を揺り動かした。その細い枝が遥《はる》か頭の上で交叉《こうさ》するほど繁《しげ》く両側から出ているのに、自分の通る所は存外明るいのを奇妙に思って、千代子は折々頭を上げては、遠い空を眺《なが》めた。宅《うち》へ着いて遺骨を仏壇の前に置いた時、すぐ寄って来た小供が、葢《ふた》を開けて見せてくれというのを彼女は断然拒絶した。
 やがて家内中同じ室《へや》で昼飯の膳《ぜん》に向った。「こうして見ると、まだ子供がたくさんいるようだが、これで一人もう欠けたんだね」と須永が云い出した。
「生きてる内はそれほどにも思わないが、逝《ゆ》かれて見ると一番惜しいようだね。ここにいる連中のうちで誰か代りになればいいと思うくらいだ」と松本が云った。
「非道《ひど》いわね」と重子が咲子に耳語《ささや》いた。
「叔母さんまた奮発して、宵子さんと瓜二《うりふた》つのような子を拵《こしら》えてちょうだい。可愛《かわい》がって上げるから」
「宵子と同じ子じゃいけないでしょう、宵子でなくっちゃ。御茶碗や帽子と違って代りができたって、亡《な》くしたのを忘れる訳にゃ行かないんだから」
「己《おれ》は雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭《いや》になった」


     須永の話

        一

 敬太郎《けいたろう》は須永《すなが》の門前で後姿《うしろすがた》の女を見て以来、この二人を結びつける縁《えん》の糸を常に想像した。その糸には一種夢のような匂《におい》があるので、二人を眼の前に、須永としまた千代子として眺《なが》める時には、かえってどこかへ消えてしまう事が多かった。けれども彼らが普通の人間として敬太郎の肉眼に現実の刺戟《しげき》を与えない折々には、失なわれた糸がまた二人の中を離すべからざる因果《いんが》のごとくに繋《つな》いだ。田口の家《うち》へ出入《でいり》するようになってからも、須永と千代子の関係については、一口《ひとくち》でさえ誰からも聞いた事はなし、また二人の様子を直《じか》に観察しても尋常の従兄弟《いとこ》以上に何物も仄《ほの》めいていなかったには違ないが、こういう当初からの聯想《れんそう》に支配されて、彼の頭のどこかに、二人を常に一対《いっつい》の男女《なんにょ》として認める傾きを有《も》っていた。女の連添《つれそ》わない若い男や、男の手を組まない若い女は、要するに敬太郎から見れば自然を損《そこ》なった片輪に過ぎないので、彼が自分の知る彼らを頭のうちでかように組み合わせたのは、まだ片輪の境遇にまごついている二人に、自然が生みつけた通りの資格を早く与えてやりたいという道義心の要求から起ったのかも知れなかった。
 それはこむずかしい理窟《りくつ》だから、たといどんな要求から起ろうと敬太郎のために弁ずる必要はないが、この頃になって偶然千代子の結婚談を耳にした彼が、頭の中の世界と、頭の外にある社会との矛盾に、ちょっと首を捻《ひね》ったのは事実に相違なかった。彼はその話を書生の佐伯《さえき》から聞いたのである。もっとも佐伯のようなものが、まだ事の纏《まと》まらない先から、奥の委《くわ》しい話を知ろうはずがなかった。彼はただ漠然《ばくぜん》とした顔の筋肉をいつもより緊張させて、何でもそんな評判ですと云うだけであった。千代子を貰う人の名前も無論分らなかったが、身分の実業家である事はたしかに思われた。
「千代子さんは須永君の所へ行くのだとばかり思っていたが、そうじゃないのかね」
「そうも行かないでしょう」
「なぜ」
「なぜって聞かれると、僕にも明瞭《めいりょう》な答はでき悪《にく》いんですが、ちょっと考えて見てもむずかしそうですね」
「そうかね、僕はまたちょうど好い夫婦だと思ってるがね。親類じゃあるし、年だって五つ六つ違ならおかしかなしさ」
「知らない人から見るとちょっとそう見えるでしょうがね。裏面にはいろいろ複雑な事情もあるようですから」
 敬太郎は佐伯の云わゆる「複雑な事情」なるものを根掘り葉掘り聞きたくなったが、何だか自分を門外漢扱いにするような彼の言葉が癪《しゃく》に障《さわ》るのと、たかが玄関番の書生から家庭の内幕を聞き出したと云われては自分の品格にかかわるのと、最後には、口ほど詳しい事情を佐伯が知っている気遣《きづかい》がないのとで、それぎりその話はやめにした。そのおりついでながら奥へ行って細君に挨拶《あいさつ》をしてしばらく話したが、別に平生と何の変る様子もないので、おめでとうございますと云う勇気も出なかった。
 これは敬太郎が須永の宅《うち》で矢来《やらい》の叔父さんの家《うち》にあった不幸を千代子から聞いたつい二三日前の事であった。その日彼が久しぶりに須永を訪問したのも、実はその結婚問題について須永の考えを確かめるつもりであった。須永がどこの何人《なんびと》と結婚しようと、千代子がどこの何人に片づこうと、それは敬太郎の関係するところではなかったが、この二人の運命が、それほど容易《たやす》く右左へ未練なく離れ離れになり得るものか、または自分の想像した通り幻《まぼろ》しに似た糸のようなものが、二人にも見えない縁となって、彼らを冥々《めいめい》のうちに繋《つな》ぎ合せているものか。それともこの夢で織った帯とでも形容して然《しか》るべきちらちらするものが、ある時は二人の眼に明らかに見え、ある時は全たく切れて、彼らをばらばらに孤立させるものか、――そこいらが敬太郎には知りたかったのである。固《もと》よりそれは単なる物数奇《ものずき》に過ぎなかった。彼は明らかにそうだと自覚していた。けれども須永に対してなら、この物数奇を満足させても無礼に当らない事も自覚していた。そればかりかこの物数奇を満足させる権利があるとまで信じていた。

        二

 その日は生憎《あいにく》千代子に妨たげられた上、しまいには須永《すなが》の母さえ出て来たので、だいぶ長く坐っていたにもかかわらず、立ち入った話はいっさい持ち出す機会がなかった。ただ敬太郎《けいたろう》は偶然にも自分の前に並んだ三人が、ありのままの今の姿で、現に似合わしい夫婦と姑《しゅうとめ》になり終《おお》せているという事にふと思い及んだ時、彼らを世間並の形式で纏《まと》めるのは、最も容易い仕事のように考えて帰った。
 次の日曜がまた幸いな暖かい日和《ひより》をすべての勤《つと》め人《にん》に恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外に誘《いざ》なおうとした。無精《ぶしょう》でわがままな彼は玄関先まで出て来ながら、なかなか応じそうにしなかったのを、母親が無理に勧めてようやく靴を穿《は》かした。靴を穿いた以上彼は、敬太郎の意志通りどっちへでも動く人であった。その代りいくら相談をかけても、ある判切《はっきり》した方角へ是非共足を運ばなければならないと主張する男ではなかった。彼と矢来の松本といっしょに出ると、二人とも行先を考えずに歩くので、一致してとんでもない所へ到着する事がままあった。敬太郎は現にこの人の母の口からその例を聞かされたのである。
 この日彼らは両国から汽車に乗って鴻《こう》の台《だい》の下まで行って降りた。それから美くしい広い河に沿って土堤《どて》の上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴々《はればれ》した好い気分になって、水だの岡だの帆《ほ》かけ船《ぶね》だのを見廻した。須永も景色《けしき》だけは賞《ほ》めたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのに伴《つ》れ出した敬太郎を恨《うら》んだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永は呆《あき》れたような顔をして跟《つ》いて来た。二人は柴又《しばまた》の帝釈天《たいしゃくてん》の傍《そば》まで来て、川甚《かわじん》という家《うち》へ這入《はい》って飯を食った。そこで誂《あつ》らえた鰻《うなぎ》の蒲焼《かばやき》が甘《あま》たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻《さっき》から二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢《ぜいたく》なものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。
「云えれば誰だって云うさ。何も江戸っ子に限りぁしない。君みたような田舎《いなか》ものだって云うだろう」
 須永はこう答えて澄ましていた。敬太郎は仕方なしに「江戸っ子は無愛嬌
前へ 次へ
全47ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング