た。と思うと襖《ふすま》の陰から須永の母の姿が現われた。背の高い面長《おもなが》の下町風に品《ひん》のある婦人であった。
「さあどうぞ。もうそのうち帰りましょうから」
須永の母にこう云い出されたが最後、江戸慣《えどな》れない敬太郎はどうそれを断って外へ出ていいか、いまだにその心得がなかった。第一《だいち》どこで断る隙間もないように、調子の好い文句がそれからそれへとずるずる彼の耳へ響いて来るのである。それが世間体《せけんてい》の好い御世辞《おせじ》と違って、引き留められているうちに、上っては迷惑だろうという遠慮がいつの間にか失《な》くなって、つい気の毒だから少し話して行こうという気になるのである。敬太郎は云われるままにとうとう例の書斎へ腰をおろした。須永の母が御寒いでしょうと云って、仕切りの唐紙《からかみ》を締《し》めてくれたり、さあ御手をお出しなさいと云って、佐倉《さくら》を埋《い》けた火鉢《ひばち》を勧めてくれたりするうちに、一時|昂奮《こうふん》した彼の気分はしだいに落ちついて来た。彼はシキとかいう白い絹へ秋田蕗《あきたぶき》を一面に大きく摺《す》った襖《ふすま》の模様だの、唐桑
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