ガラスど》を開けるや否や、彼の眼を瀬戸物《せともの》の傘入《かさいれ》の方へ引きつけたのである。実をいうと、彼は森本の手紙を受取った当座、この洋杖を見るたびに、自分にも説明のできない妙な感じがしたので、なるべく眼を触れないように、出入《でいり》の際視線を逸《そ》らしたくらいである。ところがそうすると今度はわざと見ないふりをして傘入の傍《そば》を通るのが苦になってきて、極《きわ》めて軽微な程度ではあるけれどもこの変な洋杖におのずと祟《たた》られたと云う風になって、しまった。彼自身もついには自分の神経を不思議に思い出した。彼は一種の利害関係から、過去に溯《さかの》ぼる嫌疑《けんぎ》を恐れて、森本の居所もまたその言伝《ことづて》も主人夫婦に告げられないという弱味を有《も》っているには違ないが、それは良心の上にどれほどの曇《くもり》もかけなかった。記念《かたみ》として上げるとわざわざ云って来たものを、快よく貰い受ける勇気の出ないのは、他《ひと》の好意を空《むなし》くする点において、面白くないにきまっているが、これとても苦になるほどではない。ただ森本の浮世の風にあたる運命が近いうちに終りを告げる
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