的立派な地位にいたせいか、彼には世間体《せけんてい》の好いばかりでなく、実際ためになる親類があって、いくらでも出世の世話をしてやろうというのに、彼は何だかだと手前勝手ばかり並べて、今もってぐずぐずしているのを見ても分る。
「そう贅沢《ぜいたく》ばかり云ってちゃもったいない。厭《いや》なら僕に譲るがいい」と敬太郎は冗談《じょうだん》半分に須永を強請《せび》ることもあった。すると須永は淋《さび》しそうなまた気の毒そうな微笑を洩《も》らして、「だって君じゃいけないんだから仕方がないよ」と断るのが常であった。断られる敬太郎は冗談にせよ好い心持はしなかった。おれはおれでどうかするという気概も起して見た。けれども根が執念深《しゅうねんぶか》くない性質《たち》だから、これしきの事で須永に対する反抗心などが永く続きようはずがなかった。その上身分が定まらないので、気の落ちつく背景を有《も》たない彼は、朝から晩まで下宿の一《ひ》と間《ま》にじっと坐っている苦痛に堪《た》えなかった。用がなくっても半日は是非出て歩《あ》るいた。そうしてよく須永の家《うち》を訪問《おとず》れた。一つはいつ行っても大抵留守の事が
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