僕が市蔵に呪われる間際《まぎわ》まで、なぜこの事件を秘密にしていたものか、その意味がほとんど分らない。僕はこの秘密に風を入れたところで、彼ら母子《おやこ》の間柄が悪くなろうとは夢にも想像し得なかったからである。
 市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っていたという僕の言葉の裏に、どんな事実が含まれているかは、彼と交《まじわ》りの深い君の耳で聞いたら、すでに具体的な響となって解っているかも知れない。一口《ひとくち》でいうと、彼らは本当の母子ではないのである。なお誤解のないように一言《いちげん》つけ加えると、本当の母子よりも遥《はる》かに仲の好い継母《ままはは》と継子《ままこ》なのである。彼らは血を分けて始めて成立する通俗な親子関係を軽蔑《けいべつ》しても差支《さしつかえ》ないくらい、情愛の糸で離れられないように、自然からしっかり括《くく》りつけられている。どんな魔の振る斧《おの》の刃《は》でもこの糸を絶ち切る訳に行かないのだから、どんな秘密を打ち明けても怖《こわ》がる必要はさらにないのである。それだのに姉は非常に恐れていた。市蔵も非常に恐れていた。姉は秘密を手に握ったまま、市蔵は秘密を手
前へ 次へ
全462ページ中428ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング