ただ一度……しかしこれは後で話す方が宜《よ》かろうと思う。
 母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞恥家《はにかみや》と解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題を懐《ふところ》に収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞恥《はにか》んだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようと力《つと》めた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。
 その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代に匂《にお》わした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐に抱《だ》いたまま一人で温《あたた》めていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたという噂《うわさ》のあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大人《おとな》らしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭寧《ていねい》に吟味《ぎんみ》する余裕《よゆう
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