《いなずま》に打たれたような思いをする。当りの強く烈《はげ》しく来るのは、彼女の胸から純粋な塊《かた》まりが一度に多量に飛んで出るという意味で、刺《とげ》だの毒だの腐蝕剤《ふしょくざい》だのを吹きかけたり浴びせかけたりするのとはまるで訳が違う。その証拠にはたといどれほど烈《はげ》しく怒《おこ》られても、僕は彼女から清いもので自分の腸《はらわた》を洗われたような気持のした場合が今までに何遍もあった。気高《けだか》いものに出会ったという感じさえ稀《まれ》には起したくらいである。僕は天下の前にただ一人立って、彼女はあらゆる女のうちでもっとも女らしい女だと弁護したいくらいに思っている。
十二
これほど好《よ》く思っている千代子を妻《さい》としてどこが不都合なのか。――実は僕も自分で自分の胸にこう聞いた事がある。その時|理由《わけ》も何もまだ考えない先に、僕はまず恐ろしくなった。そうして夫婦としての二人を長く眼前に想像するにたえなかった。こんな事を母に云ったら定めし驚ろくだろう、同年輩の友達に話してもあるいは通じないかも知れない。けれども強《し》いて沈黙のなかに記憶を埋《うず》める必要もないから、それを自分だけの感想に止《とど》めないでここに自白するが、一口に云うと、千代子は恐ろしい事を知らない女なのである。そうして僕は恐ろしい事だけ知った男なのである。だからただ釣り合わないばかりでなく、夫婦となればまさに逆にでき上るよりほかに仕方がないのである。
僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪《た》えられないだろう。その光は必ずしも怒《いかり》を示すとは限らない。情《なさけ》の光でも、愛の光でも、もしくは渇仰《かっこう》の光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦《いすく》められるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸《げこ》として、今日《こんにち》まで世間から教育されて来たのである。
千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦《てんぷ》の感情を、あるに任せて惜気《おしげ》もなく夫の上に注《つ》ぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のいかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評して然《しか》るべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼で指《さ》す事のできる権力か財力を攫《つか》まなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそう云う働きぶりを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思いつめている。二人の間に横たわる根本的の不幸はここに存在すると云っても差支《さしつかえ》ないのである。僕は今云った通り、妻《さい》としての彼女の美くしい感情を、そう多量に受け入れる事のできない至って燻《くす》ぶった性質《たち》なのだが、よし焼石に水を濺《そそ》いだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望み通りに利用する訳にはとても行かない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女には全く分らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽二重《はぶたえ》の足袋《たび》で包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。
僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起す。この間講釈好きの松本の叔父から、詩と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学を想《おも》い出す。叔父は素人《しろうと》学問ながらこんな方面に興味を有《も》っているだけに、面白い事をいろいろ話して聞かしたが、僕を捕《つら》まえて「御前のような感情家は」と暗《あん》に詩人らしく僕を評したのは間違っている。僕に云わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事のできずにぐずぐずしているのは、何より先に結果を考えて取越苦労《とり
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