うですね」
敬太郎《けいたろう》はやむを得ずこういう答をした。すると森本は自分が肱《ひじ》を乗せている窓から一尺ばかり出張った縁板を見て、
「ここはどうしても盆栽《ぼんさい》の一つや二つ載《の》せておかないと納まらない所ですよ」と云った。
敬太郎はなるほどそんなものかと思ったけれども、もう「そうですね」を繰り返す勇気も出なかったので、
「あなたは画や盆栽まで解るんですか」と聞いた。
「解るんですかは少し恐れ入りましたね。全く柄《がら》にないんだから、そう聞かれても仕方はないが、――しかし田川さんの前だが、こう見えて盆栽も弄《いじ》くるし、金魚も飼うし、一時は画も好きでよく描《か》いたもんですよ」
「何でもやるんですね」
「何でも屋に碌《ろく》なものなしで、とうとうこんなもんになっちゃった」
森本はそう云い切って、自分の過去を悔ゆるでもなし、またその現在を悲観するでもなし、ほとんど鋭どい表情のどこにも出ていない不断の顔をして敬太郎を見た。
「しかし僕はあなた見たように変化の多い経験を、少しでも好いから甞《な》めて見たいといつでもそう思っているんです」と敬太郎が真面目《まじめ》に云いかけると、森本はあたかも酔っ払のように、右の手を自分の顔の前へ出して、大袈裟《おおげさ》に右左に振って見せた。
「それがごく悪い。若い内――と云ったところで、あなたと僕はそう年も違っていないようだが、――とにかく若い内は何でも変った事がしてみたいもんでね。ところがその変った事を仕尽した上で、考えて見ると、何だ馬鹿らしい、こんな事ならしない方がよっぽど増しだと思うだけでさあ。あなたなんざ、これからの身体《からだ》だ。おとなしくさえしていりゃどんな発展でもできようってもんだから、肝心《かんじん》なところで山気《やまぎ》だの謀叛気《むほんぎ》だのって低気圧を起しちゃ親不孝に当らあね。――時にどうです、この間から伺がおう伺がおうと思って、つい忙がしくって、伺がわずにいたんだが、何か好い口は見付《めっ》かりましたか」
正直な敬太郎は憮然《ぶぜん》としてありのままを答えた。そうして、とうてい当分これという期待《あて》もないから、奔走をやめて少し休養するつもりであるとつけ加えた。森本はちょっと驚ろいたような顔をした。
「へえー、近頃は大学を卒業しても、ちょっくらちょいと口が見付からないもんですかねえ。よっぽど不景気なんだね。もっとも明治も四十何年というんだから、そのはずには違ないが」
森本はここまで来て少し首を傾《かし》げて、自分の哲理を自分で噛《か》みしめるような素振《そぶり》をした。敬太郎は相手の様子を見て、それほど滑稽《こっけい》とも思わなかったが、心の内で、この男は心得があってわざとこんな言葉遣《ことばづかい》をするのだろうか、または無学の結果こうよりほか言い現わす手段《てだて》を知らないのだろうかと考えた。すると森本が傾《かし》げた首を急に竪《たて》に直した。
「どうです、御厭《おいや》でなきゃ、鉄道の方へでも御出《おで》なすっちゃ。何なら話して見ましょうか」
いかな浪漫的《ロマンチック》な敬太郎もこの男に頼んだら好い地位が得られるとは想像し得なかった。けれどもさも軽々と云って退《の》ける彼の愛嬌《あいきょう》を、翻弄《ほんろう》と解釈するほどの僻《ひがみ》ももたなかった。拠処《よんどころ》なく苦笑しながら、下女を呼んで、
「森本さんの御膳《おぜん》もここへ持って来るんだ」と云いつけて、酒を命じた。
七
森本は近頃|身体《からだ》のために酒を慎しんでいると断わりながら、注《つ》いでやりさえすれば、すぐ猪口《ちょく》を空《から》にした。しまいにはもう止しましょうという口の下から、自分で徳利の尻を持ち上げた。彼は平生から閑静なうちにどこか気楽な風を帯びている男であったが、猪口を重ねるにつれて、その閑静が熱《ほて》ってくる、気楽はしだいしだいに膨脹《ぼうちょう》するように見えた。自分でも「こうなりゃ併呑自若《へいどんじじゃく》たるもんだ。明日《あした》免職になったって驚ろくんじゃない」と威張り出した。敬太郎が飲めない口なので、時々思い出すように、盃《さかずき》に唇《くちびる》を付けて、付合《つきあ》っているのを見て、彼は、
「田川さん、あなた本当に飲《い》けないんですか、不思議ですね。酒を飲まない癖《くせ》に冒険を愛するなんて。あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです」と云った。彼はつい今まで自分の過去を碌《ろく》でなしのように蹴《け》なしていたのに、酔ったら急に模様が変って、後光《ごこう》が逆《ぎゃく》に射すとでも評すべき態度で、気※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1−87−64]《きえん》を吐《は》き始めた。そ
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