りません」
「じゃ性質はどんな性質でしょう」
性質なら敬太郎にもほぼ見当《けんとう》がついていた。「穏《おだ》やかな人らしく思いました」と観察の通りを答えた。
「若い女と話しているところを見て、そう云うんじゃありませんか」
こう云った時、田口の唇《くちびる》の角に薄笑の影がちらついているのを認めた敬太郎は、何か答えようとした口をまた塞《ふさ》いでしまった。
「若い女には誰でも優《やさ》しいものですよ。あなただって満更《まんざら》経験のない事でもないでしょう。ことにあの男と来たら、人一倍そうなのかも知れないから」と田口は遠慮なく笑い出した。けれども笑いながらちゃんと敬太郎の上に自分の眼を注いでいた。敬太郎は傍《はた》で自分を見たらさぞ気の利《き》かない愚物《ぐぶつ》になっているんだろうと考えながらも、やっぱり苦しい思いをして田口と共に笑わなければいられなかった。
「じゃ女は何物なんでしょう」
田口はここで観察点を急に男から女へ移した。そうして今度は自分の方で敬太郎にこういう質問を掛けた。敬太郎はすぐ正直に「女の方は男よりもなお分り悪《にく》いです」と答えてしまった。
「素人《しろうと》だか黒人《くろうと》だか、大体の区別さえつきませんか」
「さよう」と云いながら、敬太郎はちょっと考がえて見た。革《かわ》の手袋だの、白い襟巻《えりまき》だの、美くしい笑い顔だの、長いコートだの、続々記憶の表面に込み上げて来たが、それを綜括《すべくく》ったところでどこからもこの問に応ぜられるような要領は得られなかった。
「割合に地味なコートを着て、革の手袋を穿《は》めていましたが……」
女の身に着けた品物の中《うち》で、特に敬太郎の注意を惹《ひ》いたこの二点も、田口には何の興味も与えないらしかった。彼はやがて真面目《まじめ》な顔をして、「じゃ男と女の関係について何か御意見はありませんか」と聞き出した。
敬太郎は先刻《さっき》自分の報告が滞《とどこお》りなく済んだ証拠《しょうこ》に、御苦労さまと云う謝辞さえ受けた後《あと》で、こう難問が続発しようとは毫《ごう》も思いがけなかった。しかも窮しているせいか、それが順をおってだんだんむずかしい方へ競《せ》り上《あが》って行くように感ぜられてならなかった。田口は敬太郎の行きづまった様子を見て、再び同じ問をほかの言葉で説明してくれた。
「例えば夫婦だとか、兄弟《きょうだい》だとか、またはただの友達だとか、情婦《いろ》だとかですね。いろいろな関係があるうちで何だと思いますか」
「私も女を見た時に、処女だろうか細君だろうかと考えたんですが……しかしどうも夫婦じゃないように思います」
「夫婦でないにしてもですね。肉体上の関係があるものと思いますか」
五
敬太郎《けいたろう》の胸にもこの疑《うたがい》は最初から多少|萌《きざ》さないでもなかった。改ためて自分の心を解剖して見たら、彼ら二人の間に秘密の関係がすでに成立しているという仮定が遠くから彼を操《あやつ》って、それがために偵察《ていさつ》の興味が一段と鋭どく研《と》ぎ澄まされたのかも知れなかった。肉と肉の間に起るこの関係をほかにして、研究に価する交渉は男女《なんにょ》の間に起り得るものでないと主張するほど彼は理論家ではなかったが、暖たかい血を有《も》った青年の常として、この観察点から男女《なんにょ》を眺《なが》めるときに、始めて男女らしい心持が湧《わ》いて来るとは思っていたので、なるべくそこを離れずに世の中を見渡したかったのである。年の若い彼の眼には、人間という大きな世界があまり判切《はっきり》分らない代りに、男女という小さな宇宙はかく鮮《あざ》やかに映った。したがって彼は大抵の社会的関係を、できるだけこの一点まで切落して楽んでいた。停留所で逢った二人の関係も、敬太郎の気のつかない頭の奥では、すでにこういう一対《いっつい》の男女として最初から結びつけられていたらしかった。彼はまたその背後に罪悪を想像して要もないのに恐れを抱《いだ》くほどの道徳家でもなかった。彼は世間並な道義心の所有者としてありふれた人間の一人《いちにん》であったけれども、その道義心は彼の空想力と違って、いざという場合にならなければ働らかないのを常とするので、停留所の二人を自分に最も興味のある男女関係に引き直して見ても、別段不愉快にはならずにすんだのである。彼はただ年齢《とし》の上において二人の相違の著るしいのを疑ぐった。が、また一方ではその相違がかえって彼の眼に映ずる「男女の世界」なるものの特色を濃く示しているようにも見えた。
彼の二人に対する心持は知らず知らずの間にこう弛《ゆる》んでいたのだが、いよいよそうかと正式に田口から質問を掛けられて見ると、断然とした返答は、
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