《からくわ》らしくてらてらした黄色い手焙《てあぶり》だのを眺《なが》めて、このしとやかで能弁な、人を外《そら》す事を知らないと云った風の母と話をした。
 彼女の語るところによると、須永は今日|矢来《やらい》の叔父の家《うち》へ行ったのだそうである。
「じゃついでだから帰りに小日向《こびなた》へ廻って御寺参りをして来ておくれって申しましたら、御母さんは近頃|無精《ぶしょう》になったようですね、この間も他《ひと》に代理をさせたじゃありませんか、年を取ったせいかしらなんて悪口を云い云い出て参りましたが、あれもねあなた、せんだって中《じゅう》から風邪を引いて咽喉《のど》を痛めておりますので、今日も何なら止した方がいいじゃないかととめて見ましたが、やっぱり若いものは用心深いようでもどこか我無《がむ》しゃらで、年寄の云う事などにはいっさい無頓着《むとんじゃく》でございますから……」
 須永の留守へ行くと、彼の母は唯一の楽みのようにこういう調子で伜《せがれ》の話をするのが常であった。敬太郎の方で須永の評判でも持ち出そうものなら、いつまででもその問題の後《あと》へ喰付《くっつ》いて来て、容易に話頭を改めないのが例になっていた。敬太郎もそれにはだいぶ慣れているから、この際も向うのいう通りをただふんふんとおとなしく聞いて、一段落の来るのを待っていた。

        十一

 そのうち話がいつか肝心《かんじん》の須永《すなが》を逸《そ》れて、矢来の叔父という人の方へ移って行った。これは内幸町と違って、この御母《おっか》さんの実の弟に当る男だそうで、一種の贅沢屋《ぜいたくや》のように敬太郎《けいたろう》は須永から聞いていた。外套《がいとう》の裏は繻子《しゅす》でなくては見っともなくて着られないと云ったり、要《い》りもしないのに古渡《こわた》りの更紗玉《さらさだま》とか号して、石だか珊瑚《さんご》だか分らないものを愛玩《あいがん》したりする話はいまだに覚えていた。
「何にもしないで贅沢《ぜいたく》に遊んでいられるくらい好い事はないんだから、結構な御身分ですね」と敬太郎が云うのを引き取るように母は、「どうしてあなた、打ち明けた御話が、まあどうにかこうにかやって行けるというまでで、楽だの贅沢だのという段にはまだなかなかなのでございますからいけません」と打ち消した。
 須永の親戚に当る人の財力
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