まつ》を話した上、存分文句を並べてやろうと考えた。それでまた電車に乗って一直線に小川町まで引返して来た。時計を見ると、二時にはまだ二十分ほど間《ま》があった。須永の家《うち》の前へ来て、わざと往来から須永須永と二声ばかり呼んで見たが、いるのかいないのか二階の障子《しょうじ》は立て切ったままついに開《あ》かなかった。もっとも彼は体裁家《ていさいや》で、平生からこういう呼び出し方を田舎者《いなかもの》らしいといって厭《いや》がっていたのだから、聞こえても知らん顔をしているのではなかろうかと思って、敬太郎《けいたろう》は正式に玄関の格子口《こうしぐち》へかかった。けれども取次に出た仲働《なかばたらき》の口から「午《ひる》少し過に御出ましになりました」という言葉を聞いた時は、ちょっと張合が抜けて少しの間黙って立っていた。
「風邪《かぜ》を引いていたようでしたが」
「はい、御風邪を召していらっしゃいましたが、今日はだいぶ好いからとおっしゃって、御出かけになりました」
敬太郎は帰ろうとした。仲働は「ちょっと御隠居さまに申し上げますから」といって、敬太郎を格子のうちに待たしたまま奥へ這入《はい》った。と思うと襖《ふすま》の陰から須永の母の姿が現われた。背の高い面長《おもなが》の下町風に品《ひん》のある婦人であった。
「さあどうぞ。もうそのうち帰りましょうから」
須永の母にこう云い出されたが最後、江戸慣《えどな》れない敬太郎はどうそれを断って外へ出ていいか、いまだにその心得がなかった。第一《だいち》どこで断る隙間もないように、調子の好い文句がそれからそれへとずるずる彼の耳へ響いて来るのである。それが世間体《せけんてい》の好い御世辞《おせじ》と違って、引き留められているうちに、上っては迷惑だろうという遠慮がいつの間にか失《な》くなって、つい気の毒だから少し話して行こうという気になるのである。敬太郎は云われるままにとうとう例の書斎へ腰をおろした。須永の母が御寒いでしょうと云って、仕切りの唐紙《からかみ》を締《し》めてくれたり、さあ御手をお出しなさいと云って、佐倉《さくら》を埋《い》けた火鉢《ひばち》を勧めてくれたりするうちに、一時|昂奮《こうふん》した彼の気分はしだいに落ちついて来た。彼はシキとかいう白い絹へ秋田蕗《あきたぶき》を一面に大きく摺《す》った襖《ふすま》の模様だの、唐桑
前へ
次へ
全231ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング