ども五日と経《た》たないうちにまた須永の宅《うち》へ行きたくなって、表へ出ると直《すぐ》神田行の電車に乗った。
二
須永《すなが》はもとの小川亭即ち今の天下堂という高い建物を目標《めじるし》に、須田町の方から右へ小さな横町を爪先上《つまさきのぼ》りに折れて、二三度不規則に曲った極《きわ》めて分り悪《にく》い所にいた。家並《いえなみ》の立て込んだ裏通りだから、山の手と違って無論屋敷を広く取る余地はなかったが、それでも門から玄関まで二間ほど御影《みかげ》の上を渡らなければ、格子先《こうしさき》の電鈴《ベル》に手が届かないくらいの一構《ひとかまえ》であった。もとから自分の持家《もちいえ》だったのを、一時親類の某《なにがし》に貸したなり久しく過ぎたところへ、父が死んだので、無人《ぶにん》の活計《くらし》には場所も広さも恰好《かっこう》だろうという母の意見から、駿河台《するがだい》の本宅を売払ってここへ引移ったのである。もっともそれからだいぶ手を入れた。ほとんど新築したも同然さとかつて須永が説明して聞かせた時に、敬太郎《けいたろう》はなるほどそうかと思って、二階の床柱や天井板《てんじょういた》を見廻した事がある。この二階は須永の書斎にするため、後から継《つ》ぎ足したので、風が強く吹く日には少し揺れる気味はあるが、ほかにこれと云って非の打ちようのない綺麗《きれい》に明かな四畳六畳|二間《ふたま》つづきの室《へや》であった。その室に坐《すわ》っていると、庭に植えた松の枝と、手斧目《ちょうなめ》の付いた板塀《いたべい》の上の方と、それから忍び返しが見えた。縁に出て手摺《てすり》から見下した時、敬太郎は松の根に一面と咲いた鷺草《さぎそう》を眺めて、あの白いものは何だと須永に聞いた事もあった。
彼は須永を訪問してこの座敷に案内されるたびに、書生と若旦那の区別を判然と心に呼び起さざるを得なかった。そうしてこう小ぢんまり片づいて暮している須永を軽蔑《けいべつ》すると同時に、閑静ながら余裕《よゆう》のあるこの友の生活を羨《うら》やみもした。青年があんなでは駄目だと考えたり、またあんなにもなって見たいと思ったりして、今日も二つの矛盾からでき上った斑《まだら》な興味を懐《ふところ》に、彼は須永を訪問したのである。
例の小路《こうじ》を二三度曲折して、須永の住居《すま》っ
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